スマラプラ
スマラプラ宮殿(Puri Semarapura)は、16世紀以降バリ島を支配していたゲルゲル王朝時代
池に浮かぶように作られたバレ・カンバン ラマヤナ叙事詩を題材にした天井画
王家の人々が休憩場所として使われていた建 物を1940年代に復元したもの
「カマサンスタイル」という絵画技法で描かれた 天井絵
クルタゴサ サンスクリット語で裁判所 地方レベ ルでは解決できない事案を裁いた場所 1942年まで実際に使用されていた カマサンスタイルの天井絵
SEMARA PURA クルタゴサ王宮跡セマラプラの天井画 説教を絵にしてある。
クルタゴサ王宮跡セマラプラの天井画細部1
クルタゴサ王宮跡セマラプラの天井画細部2
スマラプラの石像 帽子が中華風
スマラプラの石像2 役人風
スマラプラの石像3 布袋風
スマラプラの石像4 男性が何かを抗弁している
スマラプラの石像5 女性が何かを訴えている
ベサキ寺院 2011-01-03
8世紀までは仏教寺院だった。16世紀ゲルゲル王国の時代にヒンドゥ教大寺院になる。しかしその後はバリの国分割とともにやや廃れる。再びバリの中心寺院として発展したのは1917年以降のようだ。バリを襲った大地震や噴火が儀式を怠ったことによる神の怒りととらえられベサキ復興へとつながる。
1917年 バリ島南部大地震による死者・負傷者はそれぞれ1000名を上回る。バリ島では神の怒りととらえ呪術、宗教儀礼(バロンやサンヒャン・ドゥダリ)が活性化した。オランダ植民地政府がブサキ寺院を中心とすることを統治の施策とし旧王族の協力で総本山化する。
1918年 世界的に流行したインフルエンザがバリに。
1919年 南部バリでネズミが大量発生し穀物の収穫量が激減した。
ブサキ寺院で大儀礼が催される場合、清浄のために、村の遺体はすべて荼毘に付しておく。
破壊神シヴァ、繁栄神ヴィシュヌ、創造神ブラフマのヒンドゥー三大神がまつられる。寺院の頂上で左側にヴィシュヌ神をまつる寺があり、中央にブラフマーをまつる寺院があった。ヴィシュヌ神は世界の維持をつかさどり、多数の化身(ラーマ:ヴィシュヌ神の化身で叙事詩『ラーマーヤナ』に登場する。クリシュナ:ヴィシュヌ神の化身で叙事詩『マハーバーラタ』の英雄であり人気のある神。
仏教の開祖である釈迦牟尼はヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の9番目の化身とされている。吉祥天はヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の妃とされ、また愛神カーマの母になる。ブラフマーは世界創造の神で仏教では梵天だという。ちなみに破壊の神シバ神は大黒天だ。
初詣というのは少し違和感があるが、バリの聖地ベサキ寺院に出かけた。ベサキ寺院の入り口付近で入場料を払い、ガイドを雇って参道を登る。最初のガイドが法外な値段をいうのでドライバーとつるんでいるのが見え見えで気分を害したが、そのあと妥当な価格を言ってきたガイドを連れて子供を肩車しながら寺院の階段を登る。このガイドから各寺院の説明や10年祭、100年祭のお祭りの話、途中の寺院の設立年代や1962年の大噴火と地震で崩壊した後修理をしたことなどを聞きながら階段を登っていく。火山の溶岩を使っているので階段の石が黒いということも説明してくれる。
途中8世紀と11世紀の古い寺院のあたりで側壁を見ると緑の苔と赤い苔の両方がついた壁をみる。苔も8世紀から11世紀ものになると赤くなるのかなと思ってみたりする。寺の頂上近くにはコーヒーの木やカカオの実がなっている。高地に適したものらしい。ガイドに教えてもらって初めてコーヒーの木と実やカカオの木と実だとわかる。さらに地面から葉をむしってくれたので匂いを嗅ぐとよく知っている丁子の香りだ。さらに5ミリほどの小さな赤い花の額を持ってきた。これはグローブだという。どこかで嗅いだ匂いだ、そうそうバリのたばこガラムの匂いだと気がついた。
嗅覚は古い皮質に属し、理屈抜きに記憶を呼び覚ます。こんな何気ない匂いの体験が今後のベサキ寺院の記憶のよすがとなる。このガイド無意識にせよ、なかなかたいしたガイドぶりだ。
この寺院の頂上からみたバリの、霞がたなびいた先に見える森また森の風景は、クタやサヌールが決してバリ本来の姿でないことを教えてくれる。
7層のメルを展望
儀式を垣間見る
参拝するバリの人々
割門
割門
タナロット
March 2, 2009
1500年 JAWA MAJAPAHIT王朝がISRAMに滅ぼされる。数千人の王国の廷臣、王妃、プリースト、職人、兵士がバリに逃げ,バリ文化に多大な影響を与える。影絵芝居ワヤンや音楽、彫刻にジャワの影響を受けた文化が花開いた。ジャワから渡来したヒンドゥーの高僧ダン・ヒャン・ニラルタがタナロット寺院やウルワツ寺院など数々の寺院を建立する。
ガルンガンでタナロットに 2013-03-27
今日はガルンガンでタナロットに出かけてみました。ヒンドゥー教徒ではないのですが、伝統的な信仰には敬意を払います。ガルンガン当日はやはり車がすいています。バイパスのトラフィックにはうんざりしているが今日は気持ちの良いドライブが楽しめます。往復はルートを変えたので往は1時間15分で復は45分でした。
この巨大な一枚岩がタナロットのポイントです。この岩の向かって左の端にたたずむと潮風が吹き抜けて巨岩の効果も相乗して気持ち良くなってきます。30分ぐらい立っていました。
砂の海岸を見慣れた目にはごつごつとした岩がとても気持ちよい。
岸壁に上がる銀色の波しぶきと巨岩のダークグリーンの対比が素晴らしい。ぶつかり散る波をみているとたしかに心が洗われる。
通りがかった村のペンジョール。特別立派なものですね。
ガルンガンの月。ちょうど満月にあたったようです。
タナ・ロットも何回か訪れています。今日は比較的曇っているので前回の痛いほどの日差しは感じません。長い参道のまわりには多すぎるほどの土産物品売り場が並んでいます。巨岩の寺院のまわりにはタマン・アユンとは比較にならない多くの観光客が見えます。
今日は巨岩の上部からブーゲンビリヤが咲きほこっているのが美しく、撮ろうとするのですが逆光でうまくとれません。
この巨岩の向かって左手に立つと海風が心地よいのでいつまでもそこに立っていたい気にさせます。ジャワ島からの観光客も多く、被り物ブルカを着用した女性が多く見られます。ジャワ島のマランから来た女子高生らしき可愛い女性達に一緒に写真を撮らせてほしいと頼まれます。
ケチャダンスは6時40分に始まるのでそれまで2時間近くあります。当初はケチャダンスのあとに食事を予定していたのですが変更して先に夕食をとることにしました。ケチャ・ダンス会場を通り、レストランまで30分ほどかけてゆっくりと周りの断崖を楽しみます。
タナロット 不思議な光線と虹 水蒸気がレンズ効果をもたらしたと推測するがそれにしても場所がスピリチュアルスポットだけに神の啓示のように美しい光が収束して先端に虹を形作る。

レストランで席を確保しようとすると断崖沿いの席は団体客のリザーブですっかり埋まっています。すこし奥まったところにある席を確保してメニューの選定にとりかかります。コース料理が目につきますがパスして魚、エビ、貝を焼いてもらう事にします。
奥にある魚介類のコーナーにいき選びます。ロブスターは7000円もするのでパスしてスナッパーとエビ、イカ、貝を焼いてもらうことにします。日本では塩焼きですがこちらバリはチリなどを入れた甘辛いソースをつけて焼きます。野菜はカンクンの炒め物とチャプチャイ(とろみをつけ野菜の炒め物)をとりました。ご飯がアタの駕籠に入れられて出てきますが、うっすら褐色になっていていかにも長く置かれたものにみえます。食べてみるとやはりまずく取り換えてもらいました。こんどは炊き立てのご飯で湯気がたっており食べられます。
歓談をしての食事なのですぐにケチャダンスの始まる時刻が迫ってきました。会場で待っているとケチャダンスが始まりました。このダンスは火を燃やすので暗くなくては駄目なのだと日没まで待つ理由がわかりました。
蚊を気にしながらダンスを楽しみます。このケチャダンス、人によっては退屈なものに思えるので気にしていると非常に面白かったと一人が感想を述べました。他の3人はそれほどでもなかったのかもしれません。
7時20分に終了したので40分のダンスという事になります。サヌールのホテルには10時まえにつきました。
タマンアユン寺院 March 2, 2009
タマンアユン寺院 2010-11-03
ウブドの王族の火葬の帰りにタマンアユン寺院に寄った。ドライバーがバリで一番美しい寺院だと紹介してくれた。着いてみると以前にも来たことがあることを思い出した。数年前にクタビーチのマデが連れてきてくれた。堀に囲まれたこの寺院に入るとガイドが寄ってきて勝手に解説を始めた。人柄のよさそうな男だったので断らずにそのままついてくるにまかせる。
べサキ寺院に次いで大きなタマンアユンは1643年に建立されたという。すぐに11層のメル(屋根)からなるバデ(塔)を最大としていくつかの大きさのものが順序正しく並んでいるのが目につく。そうか、これは先ほど火葬儀式で見てきたバデと同じだと気が付いた。火葬の際に行進するバデという塔は、目の前にあるバデを模しているのだと気が付いた。11層のバデは日本式で言えば11重の塔と呼ばれるのだろうか。
バデという名前でなにかひらめくものがあった。仏教の菩薩つまりサンスクリット語のボディー・サッタバのボディと同じではないのかと。仏教の用語はヒンドゥから借りているものが多いので可能性はある。確認していないので何ともいえないのだが。
このガイドは小学生の時のクラスメートのだれかに似ている。この男は植物にも詳しく寺院の中にある樹木を片っ端から説明してくれる。ジェプン、マンゴ、マジャパイ、ブリンギン、ブンガ???等々と、非常に物知りだ。今まで植物の名前を正確に教えてくれる人と出会えなかったのでうれしくなり大目にチップを渡した。しかしメモをしなかったのが残念だ、かなり忘れている。
寺院の脇には細い道が通っている。これはスードラ階級が通る道で、サトリアとウェシアは別の道を、ブラフマナはさらに違う道を通りクンニガンのお参りするという。スードラとはワヤン、マデ、ニョーマン、カトゥで呼ばれる人々で90%を占める。日本人はインドのカーストが頭にあるせいで、スードラなどと聞くととんでもない蔑称のように感じてしまうが、バリ人は平然と自分たちのことをスードラという。
現代のバリではカーストはもちろん存在しないが、ぼんやりとした尊敬の念はあるようだ。このあたりの感覚は外国人である私には理解しづらい微妙なものがある。たとえば日本で、名刺交換をしたときに、相手の名前が萬里小路さんだとしよう。心の中では、ひょっとしてこの人の先祖はお公家さんかなとの思いが頭をかすめる。バリ人の心に今でもしっかりと根付いているカーストはこの程度のものかな。いや、なにかが違う。バリ人はこのカーストを結構うれしそうに解説してくれる。怨念や差別といった気持ちを感じることがない。
タマン・アユン1
タマン・アユン2
メルー(meru)や祭壇、祠が並んでいる。
サラスワティ寺院 ウォーターパレス
サラスワティ寺院 (ウブド ウォーター パレス)はウブドの中心地にある。18世紀にゲルゲル王朝が崩壊し、9つの小国のひとつギャニャール王国の傍系として1880年ウブド王家が創設され、その寺院として王宮の隣に建造された。2011-10-17
再びウブドに戻りレゴンダンスのチケットを購入後カフェロータスで食事をしました。中に入ると王宮の門が見えてハスの池が一段と映えています。ちょっと外からはわからないので意外な発見でした。
カフェロータスから。王の避暑地だと案内されたこの水と庭園の構築美はバリでは唯一ではないか。
緋鯉も大きくて立派で洗練されている。水も澄んでいて申し分ない。
池の中を遊歩できるように円形の石踏み台が適度な感覚で置かれている。
後ろに見える石組の太鼓橋もバリでは珍しい。
ゴアガジャ
ウブドのサレン・アグン宮殿から車で約15分、ゴアガジャまで行きヒンドゥーと仏教の併存したさまを見学しました。「象の遺跡」「大きな洞窟」の意味ですが、バリに象はいないのでインドから名前だけが伝わったのでしょう。洞窟内部の右奥には、ヒンズー教の3大神、シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマを表した3体のリンガ(男根)を祀る。15の横穴がある。沐浴場は1954年に発見された遺跡は1923年にヨーロッパ人によって発見されたが11世紀に造られたという。1916年の噴火と地震の際に落ちた石を集めてあります。
「沐浴場」1954年に発見される。左がヒンドゥー右が仏教形式です。
仏教形式をアップすると。
洞窟の両端祭壇左側にはシヴァ神の子で知恵の神ガネーシャ像右側には三位一体のヒンドゥー教の神を表す「リンガ・ヨニ」の石像ヒンドゥーの三大神は、ブラフマ、ウィシュヌ、シヴァで、創造、繁栄、破壊、火、水、風の象徴。「リンガ・ヨニ」洞窟の壁には15の穴僧侶が瞑想長さは13m
洞窟の入り口はランダ、中にガネーシャ、シバ、ビシュヌ、ブラフマンがリンガ、ヨギに彫られていました。上の丸い形をしたものが「リンガ」、下の四角い受け皿「ヨニ」で「陰と陽」「天と地」、「男と女」と解釈されるが女性器男性器を表したもの。
タマン・アユン寺院2013-06-23
昼食をサヌール海岸沿いのSANDでとりました。砂浜に設けられたテーブルでシーフード・ミーゴレンを食べてからタマン・アユン寺院に向かいました。
1時間半でメングイにあるタマン・アユン寺院(puri taman ayun)に割合スムースに到着しました。ドライバーRによるとayunは美しいという意味だそうです。
この寺院は何回か訪れているが周りに巡らされた環濠の水の緑と寺院のレンガ色が調和して落ち着いた雰囲気を漂わせています。
本殿にあたるエリアは観光客は入れませんが周りの垣根が低いので内部はよく見ることができます。
大々的な修理に入っていて大工が屋根を葺きなおしていました。白装束の僧侶があずまやで昼寝をしています。勝手口が開いていたのでダメもとで入ろうとすると屋根にいる大工にダメだと手を振られました。周囲からさまざまな数の多重の塔が見えます。それはメルと呼ばれ、バリの最高峰アグン山を模していると説明書にありますが、いくつもの高さと数の異なるメルはアグン山に連なる山並みを連想します。
特に庭の手入れがよく行き届いています。
雨が降り始めたので寺院の入り口にある大きな堂に入り、闘鶏の張りぼてを見ながら雨宿りするうちに小雨になりました。タナ・ロットへ向かいます。ドライバーRによるとtanaは水田の事をさすようです。サワとも呼ぶのでなんだか日本語の棚と澤を連想させます。