平成 25 年度東京芸術大学大学院美術研究科博士課程学位論文「胎内化する都市」
繭山桃子氏の論文メモです。
彼らは悪霊の徘徊する海辺の不浄な寂しさをこわがり、海岸線は不毛な島。
ヌサ・プニダに住む牙のある巨人、グデ・ムチャリンの支配下にあると信じている。バリ島はブダワンという亀の姿 神々によって創造された空や大地、光を戴きながら、亀の背に乗って海に浮かんでいる
1937 年初版刊行 ミゲル・ゴバルビアス著 関本紀美子訳『バリ島』平凡社 1991 年
バリ島の村(デサ)や小区(バンジャール) 三つの寺院 カヒャンガン・ティガ 一組の意味 村の先祖を祀る〈プーラ・プセ〉(Pura Puseh)、 共同体の繁栄を司る〈プーラ・デサ〉(Pura Desa)、 死を司る〈プーラ・ダレム〉(Pura Dalem) 寺としての構造自体はさほど差異はない 村の聖なる方角と、負の方角に分けられて建てられる。それは、どの村においても 山と海
島の北東に位置する聖アグン山 よって北東は神聖な方角 プーラ・ブセは、この方角に建てられる。 北東と相対して負の価値を帯びた方角とされる。 プーラ・ダレム は、墓地とともにこの方角のはずれに建てられる。
バリではこうした方角に従って、寺院のみならず住居までもが形作られるのである。北東には神棚、南西には不浄場や脱穀所というように、明確に神と魔の世界が区別され、生活空間までも形成する。こうしたことから、東西南北の方位は非常に重要なベクトルを占めるのである。
もっともバリでは、通常私たちの使う「東西南北」という言葉を用いない。“北から南へ”とは言わず“山から海へ”といった表現がなされるのである。
北東は、山の方向や上流を意味する“カジャ”と呼ばれ、南北を示す言葉は、海の方向や下流を意味する“クロッド”と呼ばれる。また、これらに交わる軸として“カンギン”、“カウ”があり、これは太陽の動きに基づいた、私たちが言うところの東西である
バリの人々の居住空間は、こうした聖なる神の世界と、悪霊の跋扈する世界との間に位置する。カジャとクロッドは表裏一体の性質を持ち、魔の世界であるクロッドだけがなくなれば良いというものではない。天界と冥界、神と悪魔が互いに補い、結びついている事で両者が成り立つのである。そしてそれらの中間に位置する人界は、異なる領域と隣り合わせながら三位一体の世界を形成している。先に述べた寺院の内、プーラ・デサは、カジャとクロッドの中間、村の中心寄りに位置する。このように、それぞれ異なる働きを持つ寺院もまた、三位一体として完成されるのである。
中村雄二郎もまた、著書『魔女ランダ考 バリ島の〈パトスの知〉』
において、「バロン劇」という祭祀演劇に登場する、死の寺院プーラ・ダレムの守護霊〈魔女ランダ〉の姿から、バリ島のコスモロジーについて仔細に記述している。中村は次のように述べる。
バリの人々の棲む世界は悪霊たちの充ち充ちた世界である。 悪霊たちはバリ島という生活空間を濃密な意味の場とする上に、並々ならず力を貸しているのである。
方位のコスモロジカルな設定と悪霊たちの活躍=跳梁が、バリ島においてはその生活空間を動的かつ濃密な意味をもったものにする上で、実にうまい具合に協働している。
人界、天界、冥界 明確に分け隔てながら隣り合って共存することにより、それぞれの内側が「意味の充実した空間」となる。悪霊への怖れもまた、それらを恐れ祀る事によって冥界が意味づけられ、冥界に対する天界の意味、人界の意味も同時に強まるのである。
バリには「パリン」 どちらが山の方角か分からなくなってしまい、正気を失ったパニック状態を指す。 中村雄二郎「魔女ランダ考 バリ島の〈パトスの知〉」大江健三郎、中村雄二郎、山口昌男編『叢書文化の現在 6 生と死の弁証法』岩波書店 1980 年 p. 271 三位一体の世界の中で、天界と冥界なくして人界は存在し得ないのである。
自らの身を護り、安全な場所に位置付けるためには、「安全な場所」を認識させるた
めの「安全でない異なる外側」の存在と、それらを分け隔てる「障壁」の存在が不可欠なのである。
意味づけ強調するためには、隔てを置いた「異なる存在」もまた不可欠なのである。