ボロブドゥール寺院
遺跡の総面積はおよそ一万五〇〇〇平方メートル、寺院の総高はも
ともと四二メートルあったそうです。かつての基壇は現在のものより小さく、前方の左手の一角にその痕跡を見ることができます。つまり、現在の基壇は旧基壇の上に重ねるように建設されたものなのです。
インドから東南アジアへ伝播してきた仏教は一般に上座部仏教と呼
ばれますが、ボロブドゥール寺院は大乗仏教の遺跡です。 八世紀後半から九世紀前半に成立したシャイレーンドラ朝の王家は大乗仏教を信仰しており、その王ダルマトゥンガにより七八〇年頃から建築が進められ、七九二年ごろに一応の完成をみたと考えられています。 その後、一度増築工事が行われますが、 シャイレーンドラ王朝の後にはヒンズー教の勢力に支配され、大乗仏教はジャワより後退していきました。
ジャワ島ではヒンズー教、イスラム教が勢力を拡大していき、この遺跡は長い間忘れ去られていました。
一八一四年にイギリス人のトーマス・ラッフルズとオランダ人技師コルネリウスによって偶然に森の中で発見され、一部が発掘されました。その後一八五一年から一八五四年にかけての第二次調査、一八八五年の発掘調査、一九〇〇年のオランダ政府による発掘委員会の組織と一九〇七年の写真記録、一八九七年から一九一一年にかけてのオランダ人技師による復元工事が行われました。
インドネシア独立後の一九七三年から一〇年間は、遺跡の倒壊を防ぐためにユネスコ主導のもと二〇〇〇万ドルの費用をかけて修復工事を行い、一九八二年に完了しまし
ボロブドゥール寺院は、もともとあった自然の丘を、さらに盛り土
ボロブドゥール寺院は五層からなる方形の基壇で構成され、その上
最頂部の大きな仏塔は一八四二年ケドゥの人ハルマントによって内部の発掘が行われましたが、発掘報告が行われていないことから、
いまだ内部は明らかではありません。全体の仏像配置は、仏界を図式化した曼陀羅図の構造をとっています。 最下部方壇の第一~四層目までは、基壇上の方位ごとに仏像が異なっています。
東側は触地印の印相をなす仏像九二体、南側は施与印で九二体、西側は禅定印で九二体、北側は施無畏印で九二体の仏像が並べられています。 第五層には東西南北の四方に、すべて同一な印相一種の説法印)をなす仏像が全部で六四体安置されています。 最上部の円壇上には、転法輪印の印相に統一された仏像が小さな仏塔の内部に収められており、その配列は密教の金剛界の曼荼羅図と同じです。
ボロブドゥール寺院は、いくつもの回廊が周りを取り囲み、その両側には素晴らしいレリーフが施されています。 第一回廊には一〇四の仏像が据えられていましたが、現在では七九体が残され、後は失われています。この回廊のレリーフは壁面外側には仏陀の一生を、内側には仏陀の誕生から悟りを開くまでの生涯が描かれています。 このレリーフの一部を紹介しておきましょう。
「うさぎ本生譚」 は、釈尊が前世ウサギであったという話から出ています。一人の行者のために森にすむ動物たちはそれぞれ食べ物を持ち寄ってきます。 例えばサルはバナナを差し出します。 しかしウサギはその持ち合わせがなかったので自らを差し出すことにし、火の中に飛び込みます。さらに内側の仏伝記では、地上に降下する釈尊、 マーヤ夫人が夢で白象を見て受胎するという話、さらにそれを夫に話す場面、やがて誕生、マーヤ夫人の右脇腹から誕生し、 すぐに七歩歩くという図、やがて母の死によって養母に育てられた釈尊は第一回目の外出で老人と出会い、以後何度かの外出で幾人かの人と出会い、それによって出家を決意します。
城を出て剃髪するまでの場面が展開します。 やがて苦行を行い様々な出来事に遭遇し、ついに菩提樹の下で悟りを開きます。さらに弟子たちか聖水をかけられている姿、鹿野苑での初説法の図などがあります。 なおこれら仏伝記の下方に見られるレリーフは「譬喩譚」と呼ばれるもので、 「マノハラ物語」 「シビ王物語」 「サンプラー妃物語」 「マイトラカニヤ物語」から構成されています。
第二回廊にも素晴らしいレリーフが見られます。
これらは「華厳経」 という経典に出典があります。
「入法界品」は、スダナという青年、実は善財童子が文殊菩薩の導きによって、理想の境地である 「法界」を求め諸国を巡り、五三人の賢人を訪ねて教えを受け、最後に普賢菩薩の許でそれを成就するという話です。最上部分にある円壇には小さなストゥーパ内に仏像が安置されています。 この仏像は仏陀ではなく釈迦如来であるという説もあります。
雄大な構造物であるボロブドゥール寺院は、仏教思想を具現したものとして多くの説が示されており、研究が進められていますが、観光で訪れても、その一端を感じ取ることはできます。
ボロブドゥール寺院の東約三キロメートルのムンキッド市にある仏
仏陀の生誕地の方向である北西向きで、ボロブドゥール寺院への旧
院はシャイレーンドラ王朝のインドラ王の時代の八世紀から九世紀
一八八七年に復旧作業が行われましたが、十分なものではありませんでした。一九〇八年にオランダ人技師ファン・エルプによってボロブドゥール寺院と並行して修復工事が行われましたが、資金不足などの事情で工事は滞りました。一九二五年には修復工事が再開され、現在のような形となりました。
寺院内部には三体の石造仏が安置され、その素晴らしさはインドネシア随一とされています。ちなみに内部の三仏像は、中央に釈迦牟尼仏像、向かって左が観世音菩薩像、右が金剛手菩薩像です。高さが約三メートルの釈迦牟尼仏像は椅子に座った姿の仏椅像と呼ばれるもので、全体の姿はインドの後グプタ期美術のサールナート派の流れを汲んでいるとされています。とくに両手で車輪を回すようなしぐさの初転法輪印をむすんでいる、まったく欠損部分のない石造仏で大変貴重なものです。
左右の観世音菩薩像、金剛手菩薩像はともに片足を下に垂れ下げて座る遊戯坐の様相を示しています。 なお向かって左側の観世音菩薩像の方が右手の金剛手菩薩像よりもよくできているとされています。さらにこの仏道の入口両側壁面に見られるレリーフ、大きさの違う彫刻も見逃せない傑作です。 その一つが鬼子母神、もう一つが毘沙門天像です。
また、外壁面には観世音菩薩像、准提観音像、多羅菩薩像が浮彫されています。 とりわけ観世音菩薩像は、蓮華の花の台座に座り、その蓮華の茎を竜王と竜女が支えています。さらにその外側には八体の約二メートルの菩薩像がありますが、持ち物 相が異なります。 構図全体は八大菩薩曼荼羅を表現している
とされています。このことからこの寺院は密教寺院であったと考えられています。
高い基壇への階段の外壁には説法用のレリーフが多く見られます。その一つに「鳥と亀の図」があります。ある時、亀が子供たちにいじめられているところを鳥がこの枝につかまるようにと木の枝を落とします。それを咥えた亀を鳥たちが咥えて飛び立ちます。 亀はこれで難を逃れることになるのでしたが、 子供たちが下からはやすのを聞いてたまらず、口を開いてしまいます。 亀はようやく助かったのに口を開いたため地上に落ち、子供たちにつかまってしまいました。
ここでは経典に出てくる説話から、口を利くことの危険を説いています。このほか鳥とサルの話やバラモン僧との友情を説いた「スヴァンナカカタ本生話」なども見られます。 鳥とサルの話は、鳥が木の上に立派な巣をつくって雨を避けています。 猿は雨をしのぐすべがなく木の下にいました。これを見た鳥は、サルが雨宿りの場所を持たないことをはやします。 するとサルは怒って木の上の鳥の巣を落としてしまいます。 これにより猿も鳥も雨をしのぐものがなくなってしまいました。 これは他人のことをとやかく言うことは避けたほうがよいという話です。
【世界遺産】パオン寺院
ボロブドゥール寺院の東約一・五キロにある、高さ約一二メートルの小さな堂の寺院です。この寺院はシャイレーンドラ王朝のインドラ王の遺骨の灰を埋めた場所と考えられており、地元の人にはパワースポットとして人気があります。堂の外壁にある天界を表現したレリーフが目をひきます。八世紀終わりころの作品とされ、天界の聖なる樹木、聖樹を中心に半人半鳥のキンチラが描かれ、参拝に訪れた人々に死後の世界があることを示しています。入口の両側には二体の天女アプサラス像が彫刻されています。
この遺跡は、一九〇三年にオランダによって修復されました。
世界遺産】プランバナン寺院 Candi Prambanan
プランバナン寺院はシヴァ堂を中心とするチャンディと呼ばれる寺院やそれ自体が崇拝の対象となっている堂、祠堂と、 それらを取り囲むプルワラ (小祠堂)の大小二四〇の堂・祠堂とリンガからなるヒンズ教寺院群です。
ヒンズー教寺院としてはインドネシア最大級で、仏教の寺院であるボロブドゥール寺院と並んで、ジャワ建築の最高傑作のひとつとされています。
プランバナン寺院の建築物の中心的なものがシヴァ神を祀るシヴァ堂です。 この建物は、ピカタン王が八五六年に建設した寺院で、外苑、 中苑、内苑の三重構造を持っています。現在は中苑と内苑のみが残されています。
主堂はヒンズー教の主神であるシヴァ神をまつるシヴァ堂です。高さ四七メートル、ピラミッド型の塔とその両端にブラフマー堂とヴィシュヌ堂が建てられてい ます。プランバナン寺院には主として
この三つの聖堂の中にヒンズー教の三大神、シヴァ神、ヴィシュヌ神、ブラフマー神を祀っています。三つの神は立像として造られ、聖堂の中央に安置されています。なかでもシヴァ神が最大で、高さ
は約三メートルあります。
四本の腕を持ち、顔面には額に三日月形の眼があります。 またこの神像はラカイ・ピタカン王の肖像であるとも伝えられています。シヴァ神像の真下の台座から九メートル下に石函に収められた
王の遺骨が埋蔵されています。 シヴァ堂にはこのシヴァ神のほかに二体の神像があります。 シヴァ神の妻にあたるドゥルーガ女神像とシヴァ神の息子にあたるガネーシャ像です。いずれも素晴らしい石造彫刻です。 なおドゥルーガ女神像は伝説上の美しい王女ロロジョグランの肖像であるとも伝えられています。
シヴァ堂の回廊の壁面には「ラーマーヤナ」を題材にしたレリーフが見られます。またシヴァ神の乗り物とされるナンヂ牛像も見ることができます。
ヴィシュヌ堂はシヴァ堂の北側にあります。高さは二三メートルで、シヴァ堂より低く建てられています。 ヴィシュヌ神は本来太陽神で、『リグ・ヴェーダ』 では単に太陽を神格化したもので重要な神ではなかったのですが、次第に信仰を集め、シヴァと並ぶヒンズー教の最も重要な神となります。 ヴィシュヌ神はとくに貴族階級に崇拝されたようです。
宇宙の維持発展を司り、乱れた秩序を回復するため、たびたび変身して地上に姿を現します。 ラーマ、クリシュナ、仏陀などはその化身の一つと考えられています。 ちなみに仏陀はヴィシュヌ神の九番目の化身とされています。 ラクシュミーを妻、霊鳥ガルーダを乗物とし、胸の旋毛の卍は瑞兆の相とされています。
ブラフマー堂はシヴァ堂の南側にある高さ二三メートルの建物です。 ブラフマー神は『ヴェーダ』 賛歌の神秘力(ブラフマン=梵天)の神格化として誕生します。バラモン教徒に最高神として仰がれる神です。
ラーマーヤナ物語
この物語はヴィシュヌ神の化身であるコーサラ国の王子ラーマが主人公で、その妻シーターとの一代記です。 ラーマは不幸にして、愛する妻シーターを悪魔の大王ラーヴァナに奪い去られます。
のちに様々な支援を得て救い出します。 しかし妻の不貞を疑ったラーマはついにシーターを追い出してしまいます。 悲しみに暮れた王妃は身の潔白を証明すべく努力しますが、ラーマの猜疑心は除
去することが出来ませんでした。やがてシーターは亡くなってしまいます。 ラーマは自らの過ちに気が付きますがすでに時遅く。
この物語は三世紀頃に古代インドで作られた叙事詩です。この詩はヒンズー教の伝播とともにインドから東南アジア各地に伝えられ、多くの民衆の支持を得て広まっています。