佐々木閑氏は初期仏教の学者でありたびたびタイなどに出かけて修行生活に参加されている。
托鉢と食事風景を詳細に話している。座る順序が仏道に入った順序で厳格に守られていることや午後になれば一切の飲食ができないことなど。
衣は糞ぞうえと言って元は死体から頂いたものを再利用していたことなどを。
紀野一義氏は法華経中心の伝道者だがやはりテーラワーダを日本に招いたときに世話役をして接している。
テーラワーダの方々が昼が近づいてくると大変そわそわされるのをユーモラスに語っている。
まだ社会経験のない年端の行かない男子が極端に大事にされることに対しては日本の寺での小僧の修行時代と余りの違いに言及されている。スポイルされるのではないかとの老婆心を持たれたようだ。
佐々木閑氏もインドで仏教が広まる過程で象に乗って外出する僧がいたことに触れて時の権力者や大富豪の寄進者から余りに大事に豪奢にされたのがインド仏教衰退の一因ではと示唆している。
翻って現代のお寺さんの贅沢ぶりも両氏は批判されている。
佐々木閑氏は新車とゴルフしか話題の無い僧侶の存在を嘆き、紀野一義氏も同じ風潮を嘆いている。
追記 アーサーcクラーク 幼年期の終わり を思い出した。地球がオーバーロードに支配されはじめ、地球上のほとんどの宗教が絶滅したが、南方の素朴に宗教だけは残った。テーラワーダを示唆している。
未だにその真意はわたしには謎だが。