佐々木閑氏は「私は劣等感の塊みたいな人間だった」紀野一義氏は「人生は、ええなあ、ええなあ 超楽天主義で生きよう」と全く両極端のことをいう。
佐々木閑氏は仏教で救済を求めるのは無理筋という。初期仏教を信奉する氏はこの世での全ての欲望つまり煩悩を断ち切っていくことで再び輪廻しない涅槃に入ることが仏道修行の最終目標だと。だから万人向きではない、この世での成功や人生の喜びを断ち切ることが目標の病院だという。病院だから病が癒えれば退院して人生の喜びを求める人生に復帰しなさいと言いたそうだ。
紀野一義氏は法華経の信奉者で戦争中はお題目をあげて、あるいは観音に祈り、死地をなん度も潜り抜けた。仏教伝道はその体験に裏打ちされたものだ。しかし法華経一辺倒ではなく円覚寺の朝比奈老師や南禅寺の芝山老師を生涯の師とした。また法華経だけではどうしようもなくやりきれない時は念仏を唱えるとも。牧師や神父さんとも互いを認め合って交流している。
佐々木閑氏も浄土真宗高田派の僧職であり、臨済宗の花園大学で教え、円覚寺の南嶺老師を尊敬しているという。
紀野一義氏は幽霊の話や戦争中の不思議な霊体験あるいは広島原爆で亡くなった両親や家族などがいつも自分と共にいると言う。
佐々木閑氏は我なるものを完全否定し、輪廻も釈迦当時のインドの一般思想であり、我がないのだから輪廻もないと言い切る。
さあ、この違い、まるで接点があるようでない。どう折り合いをつけていけば良いのか。どちらも良くて、人それぞれお好きにどうぞというのが真実かもしれない。いやきっとそうだろう。
なぜなら両氏とも好きなものを信じれば良いと言っている。これしかないという信仰こそ最大の敵だと考えている両氏にとってこの排他を憎む点は最大にして最重要の一致点だろうと思う。