
バリの空の下にいながら遠い昔の些細なことが頭に浮かぶ。頭は常にこうして泡を深いところからあぶくのように吐き出しているのだろうか。吐き出しているというのは適切ではないかもしれない。数十年をおいてまた浮かび上がってくるのだから。
ジャック佐藤という英会話の先生がいた。20代の頃にすでに40代だった。英会話ばかりでは退屈して飽きるので時折米国ミシガン大学に留学時のエピソードを語って聞かせる。
大学の寮で金に困ると妙なショーを考えだして金を作ったという。本当のことかどうか確かめるすべもないのだが便と尿を同時に排泄できるのは日本人だけだと先生はのたまわった。それを寮の仲間に有料で開陳するというショーをジャック氏は開催したという。いかにも当時の米国大学の寮ではありそうな話だと興味深く聞いた。それを英語でやるのだ。いやでも聞き耳を立てる。それが狙いだったのかも。
ある時は旅で飯代を安くあげる方法を開陳した。ホテルで朝食付きのところを選び、朝に詰め込めるだけ詰め込み、パンなどを持てるだけ持ってそれで1日をしのぐ。なるほどと感心してしまった。その後実践したことはないがいざとなったらうまい方法かもと今でも覚えている。
NTT中央学園の時からすでに50年以上経っている、肝心のお勉強は全て忘れてしまったがこんな一見どうでも良い話だけが記憶の底に眠って時折脈絡なく顔を出す。何かを思い出すためのインデックスの働きを秘めているのだろうと考えているが、何をインデックスしているのかは未だ不明だ。あるいは小説家はこんな断片から話を膨らませて整合性のある話を紡ぎ出すのかな。