まさおレポート

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ブエノスアイレス紀行 ハイライト2 タンゴの夜

2025-03-04 | 紀行 チリ・アルゼンチン

 

 

タンゴの夜、ブエノスアイレスにて

その夜、アルゼンチンタンゴの店に足を踏み入れた。暗がりの中、テーブルに置かれたキャンドルの灯がほのかに揺れる。静かなざわめきの奥で、バンドネオンの音が響き、ゆっくりとステージの幕が上がる。

アルゼンチンタンゴは、この街のラ・ボカで生まれたとも言われる。今から150年ほど前、アルゼンチンは繁栄の絶頂にあり、ブエノスアイレスは「南米のパリ」と称された。だが、華やかさの裏には、移民たちの孤独と郷愁があった。彼らが祖国を想いながら奏でた旋律が、やがてタンゴという形になっていった。

ステージでは、踊り手たちが情熱的なステップを刻む。かつてこの場所で見たのは「ラ・クンパルシータ」だったか、それとも「エル・チョクロ」だったか。あるいは「ジーラ・ジーラ」や「バンドネオンの嘆き」だったのかもしれない。音楽とともに記憶は混ざり合い、もうはっきりとは思い出せない。ただ、あの夜、タンゴの哀愁と熱情が確かに心を揺さぶったことだけは、今も鮮やかに覚えている。  

アルゼンチンタンゴの夜

ブエノスアイレスの夜、タンゴの舞台は静かな光の中で繰り広げられていた。ダンスフロアの向こうには、港の灯りが水面に反射して、まるで街そのものが踊りの一部であるかのように見える。ステージでは、情熱的なダンスが繰り広げられ、観客の目を釘付けにしていた。

男性舞踏手の手のひらがしっかりと女性を支え、その力強さと優雅さが交錯する。彼の腕の動き、手のひらの位置、足の踏み込みに込められた力が、アルゼンチンタンゴならではの魅力を見事に表現している。まるで、音楽とともに空間そのものを引き寄せ、踊りと一体化するような感覚だ。

この夜、アルゼンチンタンゴが伝える哀愁と情熱が、ただの踊りではなく、街と人々、そして長い歴史とともに生きる「文化」の一部であることを感じさせてくれた。舞台の上だけでなく、港の景色が舞台の一部となり、まるで時間も空間も超えて、この街の物語を語りかけているようだった。 薄暗い照明の中、ダンサーたちは黙々と踊り続ける。言葉はなく、音楽が流れ始めると、自然に手が伸び、踊りの輪ができていく。ステップは滑らかに、時に激しく。互いの呼吸を感じながら、タンゴの世界に身を委ねる。

ブロンドの女性がゆっくりと腕を上げ、男性のリードに身を任せる。肩越しに見える別のカップルもまた、密やかな会話を交わすように踊っている。タンゴはただのダンスではない。ここでは、それが人生の縮図のように思えた。

深夜になっても、人々は踊り続ける。街の喧騒が遠のき、足音とバンドネオンの旋律だけが空間を支配する。ブエノスアイレスの夜、タンゴの魔法に包まれるひとときだった。 炎のように踊る。

舞台の上、赤い光が踊り子たちの身体を浮かび上がらせる。流れるような動き、研ぎ澄まされたライン、そして交わされる視線。彼女たちは火の精のように、舞い、絡み、また離れていく。

タンゴのショーとはまた異なる、原始的で官能的なリズムが支配するこの空間。バンドネオンではなく打楽器の響きが強調され、ステップはより激しく、躍動感に満ちている。彼女たちは踊ることで何かを語っている。情熱か、挑発か、それとも運命の瞬間を刻んでいるのか。

舞台を染める赤い光の中で、動きが研ぎ澄まされ、時間が引き伸ばされる。観客は息を呑み、次に訪れる瞬間を見つめる。

ブエノスアイレスの夜、タンゴとは異なる、もうひとつの情熱の形がそこにあった。 静かな夜の港に、バンドネオンの旋律が響く。舞台の上では、一組の男女が絡み合うように踊る。彼の腕の中で、彼女はしなやかに身を預け、その片足を絡めるようにしてバランスをとる。視線が交差し、息遣いすら聞こえてきそうなほどの距離。

背景には、港のクレーンが黄昏の闇に浮かび、遠くの街灯が水面にゆらめく。ブエノスアイレスの夜が、まるでこの舞台のために用意されたかのように、二人の姿を際立たせる。

タンゴはただの踊りではない。愛の駆け引き、激情、そして哀愁。そのすべてがこの一瞬に込められている。指先の動き、肩の角度、足の運びのひとつひとつが、言葉以上に雄弁に語る。

観客の視線が息を呑むように集まる中、二人はなおも踊り続ける。ブエノスアイレスの夜、タンゴの炎が静かに燃え上がっていた。 異界へと舞う。

舞台は暗闇に包まれ、スポットライトが一組の男女を浮かび上がらせる。音楽が静かに流れ、男性舞踏家がゆっくりと動き出す。その気迫、技、存在感、すべてが圧倒的だった。

毎夜繰り返されるショーの中には、どこか流れ作業のように踊る者もいた。しかし、この男の踊りは違う。型を超え、魂を削るような舞い。そのステップは、もはやこの世のものではなかった。彼は踊りながら、異界へと飛んでいた。

バリのケチャダンスを思い出す。神と交信するかのように踊るバリの舞踏家たち。彼もまた、タンゴを超えた何かと対話していたのかもしれない。

地球の裏側まで来た甲斐があった、そう思わせる踊りだった。 「安らぎと屈辱と恐怖を感じながら彼は、おのれもまた幻にすぎないと、他者がおのれの夢を見ているのだと悟った。」

舞台からボルヘスの言葉が響くようだった。闇の中、赤い光に照らされて踊る男。その影が壁に揺れ、実体と幻の境界を曖昧にする。

ブエノスアイレスは、非現実が身近に感じられる街だ。特にタンゴを見ていると、そう思う。二人の絡み合う動き、音楽に身を委ねる身体、時間を超えて響くバンドネオンの音色どこからが現実で、どこからが夢なのか。

この夜、タンゴの舞台で踊る男は、自らの存在すら幻影であるかのように揺れながら、なおも踊り続ける。 ステージタンゴの光と影

スポットライトに照らされたダンサーたちが、白い衣装をなびかせながら優雅に踊る。鋭い足さばき、流れるようなリフト、観客の視線を惹きつけるドラマティックな演出。これは、アルゼンチンタンゴの中でも「ステージタンゴ」と呼ばれるショーダンスだ。

一般に街のミロンガで踊られる「サロンタンゴ」とは異なり、ステージタンゴはより劇的で、アクロバティックな動きが多い。オーケストラの旋律に合わせ、身体全体を使い、時に大きく躍動する。タンゴの情熱を視覚的に伝えるために洗練された振付が施されているのだ。

ブエノスアイレスの夜、観客のために演じられるステージタンゴ。それは、現実と幻想が交錯する劇場の中で、タンゴの魂が形を変えながら生き続ける瞬間だった。 アブラッソの夜

ブエノスアイレスの港の灯りが揺れる夜。舞台の上で踊る男女は、密やかに抱き合うようにステップを刻んでいた。この姿勢は「アブラッソ(Abrazo」スペイン語で抱擁を意味する。

アルゼンチンタンゴの本質は、このアブラッソにある。二人の身体はぴたりと寄り添い、互いの重心を感じながら踊る。ステージタンゴの華麗なアクロバットとは異なり、アブラッソはタンゴの原点、心と心の対話そのものだ。

男の腕に包まれる女、女に導かれる男。タンゴはどちらかがリードするものではない。二人が呼吸を合わせ、一つの旋律の中に溶け合うことによって生まれるものなのだ。

静かに流れるバンドネオンの音。夜のブエノスアイレスで、この一瞬、世界はただ二人だけのものになっていた。 禁じられた踊り、タンゴ

夜のブエノスアイレス、港のクレーンが闇に浮かび、ステージでは男女が絡み合うように踊っている。激しいリフト、腕を大きく伸ばす仕草、そのすべてが情熱と挑発に満ちていた。だが、このタンゴという踊りが誕生した当初は、今とはまったく異なる形だったという。

19世紀末、ブエノスアイレスにはヨーロッパからの移民が押し寄せた。しかし、新天地を求めた男たちに比べ、女性の数は圧倒的に少なかった。女と踊る機会のない彼らは、酒場で男同士でタンゴを踊った。タンゴはそこで技を磨き、やがて娼婦を相手に踊るようになり、男女のペアダンスへと変化していく。しかし、社会の目は冷たかった。「ならず者が踊る下品な踊り」と非難され、上流階級からは忌避されていた。

だが、時代はタンゴを拒まなかった。禁じられた踊りは、やがてフランスの社交界に受け入れられ、世界へと広がっていった。そして今、ブエノスアイレスの夜、港の光を背にした舞踏家たちが、かつて「禁じられた情熱」を堂々と踊っている。バンドネオンが生んだタンゴの哀愁。

夜のミロンガ。闇の中、カップルたちが寄り添いながら踊る。そのステップはしなやかで、どこか哀愁を帯びていた。流れる旋律は、バンドネオンの響き。その音色が、タンゴに独特の哀感を与えている。

バンドネオンはもともと1840年にドイツで発明された楽器だった。教会のオルガンの代用として作られたが、やがて移民たちによってアルゼンチンへと持ち込まれた。当時のタンゴはもっと速いテンポの踊りだったが、バンドネオンの構造上、速弾きが難しく、その演奏に合わせる形で、タンゴのリズムはゆっくりと変化していった。こうして、かつては荒々しく激しかったダンスは、より情感豊かで官能的なものへと昇華された。

バンドネオンのひとつひとつの音が、かつての移民たちの孤独や郷愁を語るように響く。夜のブエノスアイレス、ダンサーたちの動きとともに、その哀切な旋律がゆっくりと広がっていった。


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