まさおレポート

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バリ島綺談 バリで出会った92歳と「舞姫」

2019-08-12 | バリ島 人に歴史あり
ある人が若い日のヨーロッパでの悲恋の思い出を語った。さながら森鴎外の「舞姫」に登場する太田豊太郎とエリスのようだと感想を述べたら、「そんな高尚なものではないですがね」とやや恥じらいを浮かべて謙遜した。
 
そんな話を聞いたせいで急に森鴎外の名作「舞姫」を読みたくなった。幸い青空文庫のなかに収録されている。いつものサヌール湾を望むレストランで一気に読んでしまった。おそらく40年ぶりの舞姫だが今回の方が一層感動的に読めた。しかし40年ぶりの舞姫は以前の単純な感動ではない。幾分は太田に対して、つまり鴎外に対して「いい気なもんだ」という感情も交じっている。

太田が望郷の念と出世欲の入り混じった思いと、身重のエリスとの生活を続けたい思いの激しい葛藤で、ある寒い夜に疲労困憊の果てに高熱を出して倒れる。目が覚めると友人の相沢謙吉がエリスに引導を渡していた。そのためにエリスは怒りと落胆で狂ってしまう。そのあと太田は金をエリスの母親に預けて帰国し、出世する。

ベルリン滞在中の森鴎外にも同じようなエピソードがあることは有名な話で、その女性は日本まで鴎外を追った。しかし時のエリート鴎外の立場を危うくする女性をべルリンに追い返すことになる。そのときに鴎外には友人賀古鶴所がいて相沢謙吉と同様の働きをしたらしい。

思うにこの「舞姫」は鴎外の血を吐く思いの懺悔であるに違いない。太田も相沢に背中を押されている。鴎外も賀古に背中を押されたに違いない。相沢と賀古は当時の日本の国益推進の熱情の権化だと思えばよい。その権化が友情の名を借りて太田と鴎外の背中を押した。この相沢が存在せず、太田が日本に帰国し出世を遂げたとしたら、いかにこの小説が高雅な文体と浪漫的な内容であろうとも、妊婦を狂わせ、捨てた太田は下種の屑野郎に過ぎないし誰も感動しない。おそらく鴎外も賀古がいなければ下種野郎に堕していただろう。この「舞姫」はそんな国益中心主義の時代背景でしか成り立たない小説であることになる。

下種野郎の小説から名作に転化しているもう一つの点は、「舞姫」の最後に鴎外自身の懺悔の叫びのような文章が置かれたことだろう。
「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。」
つまり読者からすれば太田を下種野郎とさげすみながらも、この懺悔の深さで、最後の最後で感動に変わっているということになる。「一点の彼を憎むこゝろ」に当時の公私のモラルに引き裂かれるエリートの万感迫るものがありこの一文で俗な小説が一気に文学に昇華している。
 
文学史の研究では現在でもなお鴎外の捨てた女性には定説が無いという。A嬢説B嬢説あり、売春婦説、期間契約の愛人説、純粋な愛人説といろいろ考えられるという。鴎外もベルリンで売春婦をカフェで買うことにはなんら躊躇していなかったらしい。俗に語ればこれほど低レベルのお話もない。
 
さて「舞姫」の話は終わり、冒頭のある人に戻らねばならない。ある人とはバリ島の滞在ビラで出会った老人のことで、あるときレストランで朝食中に92歳の男性がプールのなかをゆっくりと歩いているのを眼にして興味を持った。この老人は慶応を卒業後に日本の三井系大手鉱業会社に就職し、昭和の中ごろに会社から減耗控除の考え方を海外拠点に導入するためにフランスに派遣されたときの思い出話をしてくれた。

この減耗控除とは減価償却と同様に税法上の言葉で減価償却によく似ており、観念上の費用をいう。最初は意味が取れなかったが、減はへる、耗は消耗の耗と説明を受けて、さらに英語で言うとdepletion allowanceだと説明を受けて減価償却の昭和初期に使われた古い用語なのかと思ったが調べてみるとそうではなく、石油や鉱業で使われる立派な経理用語なのだった。

石油、石炭、金属などの天然資源は生産によって減少し、また消滅あるいは枯渇する。 これを減耗(depletion)という。 この減耗を補充するため、売り上げまたは利益の一定割合を、主として探鉱による新しい埋蔵量の発見のための費用に充てるために控除することを減耗控除という。 税法上これを認める国と認めない国がある。https://www.weblio.jp/content/%E6%B8%9B%E8%80%97%E6%8E%A7%E9%99%A4

90歳を優に超えた高齢者というと、こちらも身近に話をした経験がないので、もうしゃべることも記憶を呼び覚ますこともおぼつかないのかなと勝手に思い込んでいたが実際に話して見るとイブモンタンの「枯葉」を原語で歌うおしゃれさと、その長い人生で経験した博識ぶりと明晰な記憶力に驚き、ますます興味を惹かれた。

シャベルでかき集められる落葉が

忘れられない記憶を呼び起こす
ほら、かき集められる落ち葉は
僕の思い出の苦さに似ているよ(枯葉より) 

私のパソコンには金子由香里の枯葉が入っていたので音量を大きめにして聴かせてあげると、「バリで枯葉を聴くとはね。この詩がいいんだよね」と遠い目をして感想を述べるが気のせいかうっすらと涙が浮かんでいた。ベルエポックのパリ、ふるきよきパリ時代を追想していたのかもしれない、私もこの詩にまいっていたので、おおいに「枯葉」で盛り上がった。

92歳の年齢にもかかわらず30歳以上若い愛人を連れてバリに滞在している。30歳以上若い愛人といっても優に60歳を越しているのだが。老人は毎朝プールに入り歩く、そして文庫本を読みながらコーヒーを飲む。若いときはパリに赴任して妻子がありながら恋に落ち、その後転勤で日本に帰るとパリジェンヌが日本まで追いかけてきたというエピソードを話してくれた。森鴎外の舞姫のような思い出ですねというと「実は彼女が東京にやってきたときは僕もその話を思い出したよ」と云った。

この年になると人に話を聞いてもらうのが楽しいのだろうか。この人はビラの玄関横にある椅子に腰かけて日がな外を眺めていて私と目が合うと寄って行けという。なかなかその時間も作れずにつきあいは終わってしまった。もっととっておきの昔話を聞いておけばよかったと今になって思う。

この老人はある年をさかいに見かけなくなった。知り合いに「あの方はどうされましたか」と聞くと、日本に帰られています。近々バリにこられるそうで、今度はリタイアメントビザでいらっしゃるそうです。」との答えが返ってきた。92歳で「今度はリタイアメントビザで・・・」と思わずにんまりとしてしまった。その後2年経ってビラの古い住人からこの老人が94歳で亡くなったとの報を聞いた。

そのときに聞いた話によるとこの老人は年齢のせいだろうか、ストーカーまがいの行動など奇矯な行動も見られたという。彼の妻とは別居が長く妻子も見放した状態だったが愛人に介護されて長野の老人ホームで亡くなったという。鴎外も賀古がいなければ下種野郎に堕していただろうと書いたがこの老人もこの30歳以上若い愛人が看取らなければ単なる下種野郎で終わっていただろうか、男の人生をそれなりにするためには女の存在を欠いては成り立たない、女は偉大だ。


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