クタビーチの夕陽を見たい。そう思い立って渋滞道路を我慢して我慢してたどり着く。
10年来かわらない風景を眺めながら海沿いを歩く。
ルンピアを頭に乗せて売り歩くおばさん、ビーズのネックレスを束にして手に持ち安いよと呼びかけるおばさん、マッサージと声をかけるおばさん、一つも変わっていない。
休暇はビールを大量に飲むことに決めているらしい大柄な欧米人、サーフィンの講習を受けている日本人あるいは韓国人、サーフィンボードを濡れ鼠になりながら片付けている若いジャワ人の男性もいつも通りだ。
普段はサヌールに滞在することが多いのでクタのおばさんたちと嫌でも見比べてします。クタのおばさん連中の方が顔つきが精悍で強力なプッシュで迫ってくる。それに比べるとサヌールは穏やかなおばさんが多い。
クタへ出稼ぎにやってくる人たちはキンタマーニやギャナールなど山地からきている人が多い気がする。勝手な思い込みかもしれないが。一方でサヌールは地元やお向かいの島ヌサペニダなどあるいはシンガラジャが多い気がする。これも当てにならないけど。
そんな差が顔つきの差に現れているのだろうか。
クタビーチをクタ門をすぎ少し歩くと10数年来の知り合いのマデと目が合った。
元気だった、いつ来たの、どこに泊まっているのといつもの質疑が続いて再会を喜び合う。すぐそばにキキがいた。二人はキンタマーニ出身の出稼ぎで子供を二人育て、孫は7人になる。デンパサールに家を構え、キンタマーニには家を建てている。出稼ぎ組の成功者と言えるのではないかと思っている。
観光客が増えているね。M
やっと戻ってきた。コロナの頃は人っこ一人いなかった。キンタマーニに帰ってコメを作って凌いだ。K
へえ、百姓をしたんだ。でも畑があり、百姓できただけよかったね。M
おそらく先祖伝来の土地があり、そこに手を入れてコメを作ったのだろう。
キンタマーニは変わった?スイス人の画家はどうしている? M
開発も進んでウブドみたいになってきているけど静かなところもまだまだ残っている。スイス人の画家は亡くなった。MADE
また行ってみたいなとかつてのように招待を期待したが、ファミリー11名を引き連れてさらに我々一家まで連れてキンタマーニに行くことは家の広さや車の乗員の都合で無理なのだろう、お誘いはなかった。