まさおレポート

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スミニャックの日本料理店での会話

2023-12-24 | バリ島 人に歴史あり

前に日本人の店長がいたよね。まもさんって呼ばれてた人だけど。m

亡くなりました。5年前に。店に来ないのでアパートに行くと息を引き取っていました。s

えー、それはそれは大変だったですね。m

息子さんがバリに来て遺骨を引きとって帰られました。s



 

17年前にスミニャックに滞在していたころ店に行くと必ずまもさんを見かけた。そして前を通りかかると店の前を眺めているマモさんを見かけることもあった。年も同じくらいで気になる方だったが話をした事は無かった。

マモさんはブログを連載していて自らの来歴や創作を面白く読ませてもらった。

その中でマモさんの人生を垣間見せるところが幾つかある。

中国に取材に行った話がさらりと語られている。メディアに絡む仕事をしていたのかもしれない。

何か事情があり家族を置いてバリにやってきて「漁師」の店長になり長いバリ滞在の後に生涯を終えた。

小学4年の息子を置いてバリに来た当初は懐かしがって電話に出て話したが高校生になると変わった。家を出た自分を恨んでいると自責する話には胸を打たれる。

家を出て息子を置いて来た苦しさをさらりと正直に語る人を後二人バリで知っている。

ウブドに住むIさんもそんな話をブログで書いていた。サヌールでラーメン屋Gを商っていた人もやはりそのような来歴を持つが既にバリで亡くなった。

漂白の人生を選んで好き勝手に暮らした人のツケが回ってくるので悩むのは当たり前だという人も多いだろうが、そういう人には共感を覚えない。止むに止まれぬ事情があったのだろうとわたしは思う。

今回以前の滞在ビラに泊まることになり、できれば話をしたいなと昼飯を食べに行ったところ店員さんがその旨を教えてくれた。月日は流れてとどまらない。


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