如何なる場合にも平気で生きていること 2021-03-18 | 紀野一義 仏教研究含む 明治の俳人正岡子規(1867-1902)は脊椎カリエスで長く伏し、苦痛に耐えて綴った「病床六尺」に、「悟り」をめぐる一節がある。 わたしはある人のことを思い出して書いている。 二十一 ○余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。 « 接待疑惑「国民の疑念を招く... | トップ | NTT総務省接待事件 こりない... »
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