1990年3月にも転職後最初の料金改定があり、NTTが320km超の長距離通話を3分320円から280円に40円の値下げした。
1987年9月に新電電各社は最遠距離区分を3分換算300円(NTTは400円だったが翌年の1988年2月には360円と60円の値さに変更した)で参入した。ついで1989年2月にNTTが330円に変更すると新電電各社は50円差の280円に追随値下げを行った。1989年以降NTTが2月あるいは3月に料金を下げて新電電が追随すると言うパターンが1997年2月まで8年間続くことになる。(1993年と1994年はNTTも新電電も値下げを行わない。又1992年には新電電は追随をせずに先行的に値下げを行い1992年6月にNTTが追随?値下げを行うと言う例外が起きた。1993年から1997年までは値さが10円になり、1998年2月には遂に同額となる。当初100円の値さが11年を経て同額に並んだことになる。
総括原価方式は料金低廉化のインセンティブが働かない。
当時の郵政省電気通信事業部長木村氏や浜田氏のセミナー等における発言からもこの当時の郵政省幹部の思惑は推しはかることができる。木村氏はあるセミナーでは通信産業会の設備投資額のグラフを並べて道路河川建設投資や自動車産業の設備投資額と比べてみせ、近い将来には肩を並べる投資額になることを強調し、浜田氏は新電電各社が同一料金に何故なるのかとの質問に、横並びになるのは論理的帰結だと答えた。ある社が他社に先駆けて料金を下げると、他社は競争上追随せざるを得ないので料金の再申請が発生する。収集のつかない料金競争は郵政も新電電も意図するところではない。従って新電電各社の料金は見えざる手によって同一料金におさまる。そんな説明であった。
しかし総括原価方式による需要予測が外れたことによる責任は電気通信事業法上問われていない。
米国では 第二次コンピュータ裁定(1980年)においてネットワークサービスを基本サービスと高度サービスに分離して高度サービスを通信法の規制から開放し、支配的通信事業者が高度サービスを提供する際には、構造分離要件を課すという事業分類が制度的になされた。
おおいに異なる日米の政策で結果的に大きな違いを生んでいないということはいずれの政策も必要なものではなかったという見方もできる。今後この差異に着目した考察がなされることは行政の規制の本質を解き明かすものとして重要だろう。
<5月23日 KDD 中村泰三副社長が会長に NTT 澤田副社長が会長に>
それにしても天下りの多いことに驚かされる
接続ルールの見直し
10月18日 NTTがコロケーションルールの接続約款の追加変更を郵政省に認可申請 ADSL
電気通信事業者を外形的に規制する
審議会に諮問するならわしは疑問