まさおレポート

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「坂の上の雲」と呉 松山 江田島 常盤館は旧松山藩の久松家が建てた寮で坂の下にある

2007-08-22 | 小説 音楽

松山を訪れたことに刺激され20代に読んだ司馬遼太郎の「坂の上の雲」を再読しており一巻目を読み終わった。

「坂の上の雲」という題のつけ方についてかねてから気に入っている。眼前に土埃のする坂とその向こうの青空に白雲がぽっかりと浮かんでいる夏の光景が浮かぶ。坂の上にはなにがあるかは下からはみえない。雲の下には未知の新世界が待っているように見える。見えるというより無邪気に信じている。明治の初期に抱いた日本人、特に若い世代の期待がその光景に視覚化されていると思っていた。

具体的に何を指すのかは一読目には気が付いていなかった。今回再読してみて子規が下宿し秋山真之ら松山出身の若者が集った常盤館の地形に由来することがわかった。常盤館は旧松山藩の久松家が建てた寮の名前で松山から東京に勉学の為に出てきた若者の宿泊所となった。文中この建物は坂の下にあると一言記述されていた。それで題の由来に気がついた。この地からみた坂の上の雲と若者の夢を重ね合わせたのだろうと納得した。

他の人はとうに気が付いているのだろうが私にはなんと30年ぶりの発見だと密かに喜んでいる。年月を経ての再読こそが読書の醍醐味だと実感した。

呉の近くに江田島がある。この地は秋山真之が海軍兵学校の移転とともに明治21年に東京築地から移ってきている。翌年呉に海軍鎮守府が置かれ、以降この地は太平洋戦争の終戦まで軍港として発展していくことになる。江田島の記念館で東郷平八郎に参謀として付き添う秋山真之の油絵があった。広瀬武夫の写真もある。

「坂の上の雲」に極めて縁の深い土地に滞在し訪れたことになる。年月を経るだけでも面白いのだが縁のある土地への旅と合わせると一層再読の妙味を増すようである。


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