詩32篇
2節「幸いな者 主に過ちをとがめられず、その霊に欺きのない人」聖書協会共同訳
11節「(小見出し)ダビデの詩、マスキール。背きの罪を赦され、罪を覆われた人」悔い改めの詩篇のひとつ。詩51篇と同じ「バト・シェバとの不倫事件」サムエル記下11章が想起される。共通している詩篇は51篇、130篇、143篇もある。1、2節の文頭に「幸いだ!」(アシュレー)が来る。この形式は1篇1節、33篇12節、41篇2節などにも出てくる。それは罪の悔い改めの結果である。その罪の赦しが四様に出ている。
(1)「背き(ペシャア)」文語訳「咎」違反=赦された人(ネスイ)
(2)「罪(はタアー)的が外れる。踏み外す」=覆われた人(ケスイ)。
(3)「不義(アヴオン)」咎。邪悪な性格=主がとがめない(ろーヤふショヴ)。
(4)「欺き(レミヤ)」陰謀、欺瞞。「背き」=無い(ヴエエン)
3節「私が沈黙していたときは、一日中、呻き、骨も朽ち果てました」。これらの数々の罪の重圧に押しつぶされた状態に呻き苦しみ、昼も夜もあなたの手が重くわたしの上にあり、力は夏の日照りのように、乾き切って失せていたと告白するのである(4節)。「数々の重圧」は病を指すと解釈することが考えられる。
5節「私はあなたに罪を告げ、過ちを隠しませんでした。私は言いました『私の背きを主に告白しよう』と、するとあなたは罪の過ちを赦してくださいました。」ここから1~2節につながる。心砕かれて、罪(ハタアー)と不義(アヴォン)と背き(ペシャア)のすべてを隠さず告白する時、神はこれを「覆う」(カーサー)、覆いかばさる(カバする)。罪を見えなくしてくださった。これは神の側の赦しの宣言となる。この派生語が贖罪所(カポーレット)である。信仰義認を示す言葉としてローマ4章7~8節に引用されている。
6節「このゆえに、忠実な人は皆 時に応じてあなたに祈ります。荒ぶる大洪水もその人に及ぶことはありません」。直訳「敬虔な人」(はスイード)は「あなたに向って」(エれーは)「時に」(れエツト)「見つける」(メツオ-)。(改訳「汝に遭う事を得べき間に、汝に祈らん」。岩波訳「この故に、忠実な者はみな、あなたに祈る、適切な時に」
7節「あなたこそ私の隠れ家。苦しみから私を守り救いの盾で囲んでくださいます」。神が隠し、救いの盾で囲んでくださるということは、5節に示されているように、在るがまま受け入れられていることを指す。岩波訳は「救いの歓呼をもって私を囲んでくださいます」としている。
8節「私はあなたに悟りを与え 歩むべき道を示そう。あなたの上に目を注ぎ、諭しを与えよう」。8~9節は人称が変わり祭司的な託宣となる。直訳「あなたを賢くする(アスキるはー)」「私は助言しよう(イアツア―)」
10節「悪しき者には痛みが多い。主に信頼する人は慈しみに囲まれる」。正しい人よ、主によって喜べ、喜び踊れ。心のまっすぐな人は皆、喜び歌え」(11節)。ここでは神に逆らう(悪しき者)と、依り頼む者とが対比されている。
2節「幸いな者 主に過ちをとがめられず、その霊に欺きのない人」聖書協会共同訳
11節「(小見出し)ダビデの詩、マスキール。背きの罪を赦され、罪を覆われた人」悔い改めの詩篇のひとつ。詩51篇と同じ「バト・シェバとの不倫事件」サムエル記下11章が想起される。共通している詩篇は51篇、130篇、143篇もある。1、2節の文頭に「幸いだ!」(アシュレー)が来る。この形式は1篇1節、33篇12節、41篇2節などにも出てくる。それは罪の悔い改めの結果である。その罪の赦しが四様に出ている。
(1)「背き(ペシャア)」文語訳「咎」違反=赦された人(ネスイ)
(2)「罪(はタアー)的が外れる。踏み外す」=覆われた人(ケスイ)。
(3)「不義(アヴオン)」咎。邪悪な性格=主がとがめない(ろーヤふショヴ)。
(4)「欺き(レミヤ)」陰謀、欺瞞。「背き」=無い(ヴエエン)
3節「私が沈黙していたときは、一日中、呻き、骨も朽ち果てました」。これらの数々の罪の重圧に押しつぶされた状態に呻き苦しみ、昼も夜もあなたの手が重くわたしの上にあり、力は夏の日照りのように、乾き切って失せていたと告白するのである(4節)。「数々の重圧」は病を指すと解釈することが考えられる。
5節「私はあなたに罪を告げ、過ちを隠しませんでした。私は言いました『私の背きを主に告白しよう』と、するとあなたは罪の過ちを赦してくださいました。」ここから1~2節につながる。心砕かれて、罪(ハタアー)と不義(アヴォン)と背き(ペシャア)のすべてを隠さず告白する時、神はこれを「覆う」(カーサー)、覆いかばさる(カバする)。罪を見えなくしてくださった。これは神の側の赦しの宣言となる。この派生語が贖罪所(カポーレット)である。信仰義認を示す言葉としてローマ4章7~8節に引用されている。
6節「このゆえに、忠実な人は皆 時に応じてあなたに祈ります。荒ぶる大洪水もその人に及ぶことはありません」。直訳「敬虔な人」(はスイード)は「あなたに向って」(エれーは)「時に」(れエツト)「見つける」(メツオ-)。(改訳「汝に遭う事を得べき間に、汝に祈らん」。岩波訳「この故に、忠実な者はみな、あなたに祈る、適切な時に」
7節「あなたこそ私の隠れ家。苦しみから私を守り救いの盾で囲んでくださいます」。神が隠し、救いの盾で囲んでくださるということは、5節に示されているように、在るがまま受け入れられていることを指す。岩波訳は「救いの歓呼をもって私を囲んでくださいます」としている。
8節「私はあなたに悟りを与え 歩むべき道を示そう。あなたの上に目を注ぎ、諭しを与えよう」。8~9節は人称が変わり祭司的な託宣となる。直訳「あなたを賢くする(アスキるはー)」「私は助言しよう(イアツア―)」
10節「悪しき者には痛みが多い。主に信頼する人は慈しみに囲まれる」。正しい人よ、主によって喜べ、喜び踊れ。心のまっすぐな人は皆、喜び歌え」(11節)。ここでは神に逆らう(悪しき者)と、依り頼む者とが対比されている。