詩16篇
9節「それゆえ私の心は喜び、心の底から喜び躍り、この身もまた安らかに住まう」聖書協会共同訳
1節小見出しミクタム、ダビデの詩「神よ、私を守ってください 私はあなたのもとに逃れました。」ミクタムの意味は明らかでないがカタムが「金の飾り」から最高に美しいと解説される。直訳「神よ 守り給え、あなたの中に逃げ込む私を」11篇1節と似ている。「お前は言う、わが主あなたの上にわたしの幸いはないと」(2節)あなたは眞の保護者、助言者であると告白している。1節の神は「エる」は力強い神を示し、2節は「アドナイ」である。
3節「この地の聖なる者らに私の喜ぶ力ある者すべてに言う。」 この地にある聖なる者とは誰か。私の喜び力ある者とは誰を指すのか。大きく二つの解釈に分れる。一般的にはイスラエルの共同体であり、神によって聖別された人々と理解されるが、4節で告げている異教の神々を否定する言葉との文脈からすると、今ひとつの解釈ができる。つまり「地の聖なる人々」とはカナンの偶像礼拝を行っている人々であり、岩波訳では「わが悦びの無い偉大な者らには、彼らの悩みが増すが良い…」としている。
4節「他の神を追う者は苦しみを増すがよい。私は、血を注ぐ彼らの供え物を献げずその名も口にしない」。「他の者」(バアレツ)とはカナンの神々を指している。「他の神を追う者」とは、大急ぎ走って結納をわたす有様を比喩として表現している(出エジプト記22章15節)。「血を注ぐ」のはモレクの神に血の御神酒として男児を献げることを指している(レビ記20章2~5節)。
5節「主はわが受くるべき分、わが杯。あなたこそ、私のくじを決める方。」「わが受くるべき分」も「わが杯」も共に割り与えられた財産の意味で「嗣業」を指し、6節7節は、これを豊かな表現で示している。詩2篇6、73篇26、119篇57、142篇6、民数記18章20節、申命記10章9節、ヨシュア13章14節see。
6節「測り縄は麗しい地に落ち私は輝かしい相続地を受けました。」今一つの比喩である。「測り縄」は神からの嗣業地として最高のものであったと讃える。
7節「諭してくださる主をたたえよう。」夜ごと神は私の心(原語・腸ひるヨタイ)を諭してくださるとは何と素晴らしい事であろう。
5~7節においては既に「神とわたし」の関係が生涯変わることがないことを示されているが8~11節はそれが確実であることを告白する。
①「絶えず目の前に主を置く 主が右におられ、私は揺らぐことがない。」8節
②「私の心は喜び、心の底から喜び躍り、この身もまた安らかに住まう」9節
③「あなたは私の魂を陰府に捨て置かずあなたに忠実な者に滅びの穴を見せず」10節
④命の道を私に示されます。御前には満ち溢れる喜びが 右の手には麗しさが永遠にありますように。11節 これは使徒言行録2章25~28節、13章35節にイエス復活の証言として引用されている。
9節「それゆえ私の心は喜び、心の底から喜び躍り、この身もまた安らかに住まう」聖書協会共同訳
1節小見出しミクタム、ダビデの詩「神よ、私を守ってください 私はあなたのもとに逃れました。」ミクタムの意味は明らかでないがカタムが「金の飾り」から最高に美しいと解説される。直訳「神よ 守り給え、あなたの中に逃げ込む私を」11篇1節と似ている。「お前は言う、わが主あなたの上にわたしの幸いはないと」(2節)あなたは眞の保護者、助言者であると告白している。1節の神は「エる」は力強い神を示し、2節は「アドナイ」である。
3節「この地の聖なる者らに私の喜ぶ力ある者すべてに言う。」 この地にある聖なる者とは誰か。私の喜び力ある者とは誰を指すのか。大きく二つの解釈に分れる。一般的にはイスラエルの共同体であり、神によって聖別された人々と理解されるが、4節で告げている異教の神々を否定する言葉との文脈からすると、今ひとつの解釈ができる。つまり「地の聖なる人々」とはカナンの偶像礼拝を行っている人々であり、岩波訳では「わが悦びの無い偉大な者らには、彼らの悩みが増すが良い…」としている。
4節「他の神を追う者は苦しみを増すがよい。私は、血を注ぐ彼らの供え物を献げずその名も口にしない」。「他の者」(バアレツ)とはカナンの神々を指している。「他の神を追う者」とは、大急ぎ走って結納をわたす有様を比喩として表現している(出エジプト記22章15節)。「血を注ぐ」のはモレクの神に血の御神酒として男児を献げることを指している(レビ記20章2~5節)。
5節「主はわが受くるべき分、わが杯。あなたこそ、私のくじを決める方。」「わが受くるべき分」も「わが杯」も共に割り与えられた財産の意味で「嗣業」を指し、6節7節は、これを豊かな表現で示している。詩2篇6、73篇26、119篇57、142篇6、民数記18章20節、申命記10章9節、ヨシュア13章14節see。
6節「測り縄は麗しい地に落ち私は輝かしい相続地を受けました。」今一つの比喩である。「測り縄」は神からの嗣業地として最高のものであったと讃える。
7節「諭してくださる主をたたえよう。」夜ごと神は私の心(原語・腸ひるヨタイ)を諭してくださるとは何と素晴らしい事であろう。
5~7節においては既に「神とわたし」の関係が生涯変わることがないことを示されているが8~11節はそれが確実であることを告白する。
①「絶えず目の前に主を置く 主が右におられ、私は揺らぐことがない。」8節
②「私の心は喜び、心の底から喜び躍り、この身もまた安らかに住まう」9節
③「あなたは私の魂を陰府に捨て置かずあなたに忠実な者に滅びの穴を見せず」10節
④命の道を私に示されます。御前には満ち溢れる喜びが 右の手には麗しさが永遠にありますように。11節 これは使徒言行録2章25~28節、13章35節にイエス復活の証言として引用されている。