日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

平和を告げる者の足は山の上を行く

2015-03-14 | Weblog
ナホム2章 

 1節「見よ、良い知らせを伝え 平和を告げる者の足は山の上を行く。ユダよ、お前の祭りを祝い、誓願を果たせ。二度と、よこしまな者が お前の土地を侵すことはない。彼らはすべて滅ぼされた」(新共同訳)

 1節「見よ、良い知らせを伝え、平和を告げる者の足は山の上を行く。ユダよ、お前の祭りを祝い、誓願を果たせ。二度と、よこしまな者が、お前の土地を侵すことはない。彼らはすべて滅ぼされた」。小見出し『ニネベの陥落』。口語訳では1章の終りになり、ユダに新しい時代の到来を告げている。同じ預言の言葉がイザヤ40章9節にある。「よこしまな者」とは1章11節と同じで、アッシリアと企む者らである。
 2節「襲いかかって来る敵がお前に向かってくる、砦を守り、道を見張れ。腰の帯を締め、力を尽くせ」。外敵の襲来に対して主は報復されるので、武装を整えよといわれる。
 3節「主はヤコブの誇りを回復される、イスラエルの誇りも同じように。略奪する者が彼らを略奪し その枝を荒らしはしたが」。失われたイスラエルの誇りは回復される。
 4節「勇士の盾は赤く、戦士は緋色の服をまとに、戦いの備えをする日に 戦車の鋼鉄は火のように輝き 槍は揺れる」。ここでイスラエルとアッシリアとの戦闘が始まることが描かれ、いよいよ戦いが勃発する(5節)。城壁が崩されようとしているので防御車を据える(6節)。ついに門は開かれ王妃は引き出され、侍女たちは嘆き、悲しみに胸を打つ(7~8節)。
 9節「ニネベは、建てられたときから、水を集める池のようであった。しかし、水は流れ出して『止まれ、止まれ』と言ってもだれも振り返らない」。池の水が流れ出すように、金銀財宝が流れ出ていき、破壊と荒廃で人の顔はおののきを示す(10~11節)。
 12節「獅子の住家はどこに行ったのか。それは若獅子の牧場だった。獅子がそこを去り、雌獅子と子獅子が残っていても脅かすものは何もなかった」。アッシリアが獅子に譬えられる。獅子の洞穴に、子獅子のために得物を満たしていた(13節)。しかし万軍の主は洞穴を襲って若獅子を殺し、得物はすべて無くなる(14節)。ここで、何故アッシリアの滅亡が「平和を告げる」(1節)ことになるかを問わねばならない。ナホムは既にアッシリアの滅亡を知っていたのかもしれない(紀元前614年頃)。彼の予言は単なる復讐ではなく、復讐劇を繰り返すことに終止符を打ち、「もはや戦うことを学ばない」(ミカ4章3節see)平和でなければならない。

 使徒パウロは、エフェソへの手紙2章14~17節に主イエス・キリストは敵意を取り除き、和解をもたらすという真実の平和を示している。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。 二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました~」。