日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

あなたがたは翻って生きよ

2014-10-13 | Weblog
  エゼキエル18章 

  32節「わたしは何人の死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」(口語訳)

  1節「主の言葉がわたしに臨んだ」。小見出し「各人の罪」。罪の個別性原理という。
  2節「お前たちがイスラエルの地で、このことわざを繰り返し口にしているのはどういうことか。『先祖が酢いぶどうを食べれば子孫の歯が浮く』と」。これは先祖の罪を子孫が負うという因果応報論である(出エジプト記20章5節see)。ここでは捕囚の原因は何かが問われている。
  3節「わたしは生きている、と主なる神は言われる。お前たちはイスラエルにおいて、このことわざを二度と口にすることはない」。因果応報の呪詛から解放されねばならない。すべての命は主の御支配にあること、そして問われるのは、罪を犯した者、その人である(4節)。
  5節「もし、ある人が正しく、正義と恵みの業を行うなら」。口語訳「人がもし正しくあって、公道と正義とを行い」。今問われているのは公平(ミシュパット)と正義(ツェダーカー)である。6~9節に12項目の掟が並列される。(1)偶像の供え物を食べず、偶像を仰ぎみない=レビ記20章、(2)姦淫を犯さない=申命記4章、(3)生理中の女に触れない=レビ記15章、(4)人を踏みにじらない、(5)負債者の質物を返し、(6)強奪しない、(7)飢えた者に自分のパンをあたえ、(8)裸の者に衣服を与え、(9)天引きの利息や高利を取らない=レビ記25章、(10)不正から手を引き、(11)人と人との間に真実の裁きを行い、(12)主の掟に従って歩み、裁き=公平(ミシュパット)を忠実に守るなら、正しい(ツェデク)人である。
  10節「彼に生まれた息子が乱暴者で、これらの事の一つでも行う人の血を流し」。自分自身はその一つも行わず、不正不義を働いているなら、その犯した罪ゆえに必ず死ぬ。その死の責任は彼自身にある(11~13節)。
  14節「ところで、その人にまた息子が生まれ、彼が父の行ったすべての過ちを見て省み、このような事を行わないなら」。彼は父の罪の故に死ぬことはない。必ず生きる(15~17節)。何故なら「公平と正義」を行ったからだ(19節)。
  20節「罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものである」。掟をことごとく守り立ち帰るなら「死ぬことはない、必ず生きる」(21節)。因果応報論に対する結論が示される。悪人でも罪過から離れて立ち帰るかどうかが質される(22~23節)。
  24節「しかし、正しい人でも、その正しさから離れて不正を行うなら…彼の背信の行為を犯した過ちのゆえに彼は死ぬ」。『主の道は正しくない』というが、正しくないというのはお前たちの道ではないか(25節)。判断の基準は「公平と正義」にかかっている(27節)。
  31節「お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか」。新しい心と新しい霊は本来神から与えられるものだが、背きを投げ捨てることで神から賦与されるもの。新共同訳ではそれが見えてこない。
  32節「わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる」。口語訳「…主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」。NKJV . "Therefore turn and live! "「翻って生きよ」は方向転換を示し、このほうが適訳である。


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