エゼキエル19章
1節「イスラエルの君侯たちのために、あなたは悲しみの歌をうたう」(新共同訳)
1節「イスラエルの君侯たちのために、あなたは悲しみの歌をうたって」。小見出し「君侯たちの悲しみの歌」。譬を用いてユダ王国晩年の歴史を描く。「君候」とは部族の代表の称号である(7章27節see)。
2節「言いなさい。お前の母は獅子たちの中にあって どんな雌獅子だったろうか。お前の母は子獅子の間に伏し 若獅子たちを育てた」。ヨシヤ王からヨアキンまでの歴史を詠う。ユダの王を獅子に擬える。雌獅子はヨシヤの妻ハムタル(列王記下23章31節see)。若獅子はハムタルの二人の息子の一人ヨアハズで彼の失政を詠う(3節)。
4節「諸国の民は子獅子について聞いた。罠に捕らえられ、鉤にかけられてエジプトの地へ連れて行かれたと」。彼は在位三ヶ月でエジプトに連れて行かれた(列王記下23章30~34節)。「罠と軛」は捕虜が残酷な扱いを受けたことを示す(列王記下19章28節)。その後の若獅子はヨアキム(5節)、この場合の雌獅子はゼブダ(列王記下23章36節)。罠に捉えられ籠に入れられ連れて行かれたのはヨアキンではなくマタンヤ(ゼデキヤ)についての隠喩である(9節、列王記下24章16節、同25章7節see)。紀元前597年、第一回バビロン捕囚である。
10節「お前の母は水のほとりに植えられた 園のぶどうの木のようだ。多くの水のゆえに 豊かに実を結ぶ枝を張った」。ダビデ王朝はその時々に現れた王たちにより繁栄の時代があった。そしてバビロンによる試練を受けたが(第一回捕囚)、再びぶどうは実を結ぶ枝を張っているようだ。
11節「その木には、支配者たちの杖となる強い枝があった。丈は雲間に届くほど高くなり丈高く、枝が多いゆえに際立って見えた」。支配者たちの杖となる強い枝とはダビデ王朝の王位継承を指す。バビロンによってユダの王位を継承したゼデキヤの時代、一時的にユダは安定した状況を示す。11年間を指す(列王記下24章18節、歴代誌下36章11~14節)。喉元過ぎれば熱さ忘れる。慢心は大きな落し穴となる。預言者の言葉に耳をふさいだ。
12節「怒りによって木は引き抜かれ、地に投げ捨てられた。東風はその実を枯らし強い枝はもぎ取られて枯れ、火がそれを焼き尽くし」。東風はネブカドレツァルを指す(列王記下25章9節)。反旗を翻したゼデキヤにより、老弱男女も殺害されエルサレムは火を架けられて炎上し、神殿の宝物は奪われ、剣を逃れた者も捕えられてバビロンに引かれて行った。紀元前587~586年の第二回バビロン捕囚である。
14節「また、若枝の茂る太い枝から 火が出て、実を焼き尽くした。それゆえ、この木には 支配者の杖となる強い枝はなくなった。この歌は悲しみの歌。悲しみの歌としてうたわれた」豊かに実を結ぶはずのぶどうの木だったが反旗を翻し、ユダの滅亡に到った。同じ隠喩は、17章に出ていた。
主イエスのぶどうの木の譬から、このことを暗示するのは15章6節であろう。「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう」。
1節「イスラエルの君侯たちのために、あなたは悲しみの歌をうたう」(新共同訳)
1節「イスラエルの君侯たちのために、あなたは悲しみの歌をうたって」。小見出し「君侯たちの悲しみの歌」。譬を用いてユダ王国晩年の歴史を描く。「君候」とは部族の代表の称号である(7章27節see)。
2節「言いなさい。お前の母は獅子たちの中にあって どんな雌獅子だったろうか。お前の母は子獅子の間に伏し 若獅子たちを育てた」。ヨシヤ王からヨアキンまでの歴史を詠う。ユダの王を獅子に擬える。雌獅子はヨシヤの妻ハムタル(列王記下23章31節see)。若獅子はハムタルの二人の息子の一人ヨアハズで彼の失政を詠う(3節)。
4節「諸国の民は子獅子について聞いた。罠に捕らえられ、鉤にかけられてエジプトの地へ連れて行かれたと」。彼は在位三ヶ月でエジプトに連れて行かれた(列王記下23章30~34節)。「罠と軛」は捕虜が残酷な扱いを受けたことを示す(列王記下19章28節)。その後の若獅子はヨアキム(5節)、この場合の雌獅子はゼブダ(列王記下23章36節)。罠に捉えられ籠に入れられ連れて行かれたのはヨアキンではなくマタンヤ(ゼデキヤ)についての隠喩である(9節、列王記下24章16節、同25章7節see)。紀元前597年、第一回バビロン捕囚である。
10節「お前の母は水のほとりに植えられた 園のぶどうの木のようだ。多くの水のゆえに 豊かに実を結ぶ枝を張った」。ダビデ王朝はその時々に現れた王たちにより繁栄の時代があった。そしてバビロンによる試練を受けたが(第一回捕囚)、再びぶどうは実を結ぶ枝を張っているようだ。
11節「その木には、支配者たちの杖となる強い枝があった。丈は雲間に届くほど高くなり丈高く、枝が多いゆえに際立って見えた」。支配者たちの杖となる強い枝とはダビデ王朝の王位継承を指す。バビロンによってユダの王位を継承したゼデキヤの時代、一時的にユダは安定した状況を示す。11年間を指す(列王記下24章18節、歴代誌下36章11~14節)。喉元過ぎれば熱さ忘れる。慢心は大きな落し穴となる。預言者の言葉に耳をふさいだ。
12節「怒りによって木は引き抜かれ、地に投げ捨てられた。東風はその実を枯らし強い枝はもぎ取られて枯れ、火がそれを焼き尽くし」。東風はネブカドレツァルを指す(列王記下25章9節)。反旗を翻したゼデキヤにより、老弱男女も殺害されエルサレムは火を架けられて炎上し、神殿の宝物は奪われ、剣を逃れた者も捕えられてバビロンに引かれて行った。紀元前587~586年の第二回バビロン捕囚である。
14節「また、若枝の茂る太い枝から 火が出て、実を焼き尽くした。それゆえ、この木には 支配者の杖となる強い枝はなくなった。この歌は悲しみの歌。悲しみの歌としてうたわれた」豊かに実を結ぶはずのぶどうの木だったが反旗を翻し、ユダの滅亡に到った。同じ隠喩は、17章に出ていた。
主イエスのぶどうの木の譬から、このことを暗示するのは15章6節であろう。「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう」。