今日の言葉
「備えあれば憂いなし」
バブル崩壊
プラザ合意から始まりました。目的は貿易摩擦解消、アメリカの赤字と日本の黒字の不均衡を是正するために円高誘導が行われました。合意後、円が235円から20円高215円に、そして1年後は150円になりました。輸出産業に大打撃、処方箋として、日銀が金融緩和を実施、金利を下げ、借りやすくし、傾きかけた企業を救済しました。そのまま、金融緩和を継続し、あふれたお金の行き先は、不動産と株でした。土地ころがにしより、土地は値上がり続けました。日本人は、土地神話、「日本は国土がが限られており、土地は貴重だから、価格は下がることはない。だから土地を買えば必ず儲かる」、そのことを信じて突き進みました。余りにも過熱しすぎたので、銀行は、融資を制限しました。その途端に、カネの流れが滞り、資金繰りが苦しくなり、バブル景気を謳歌した人たちは奈落の底に落ちていきました。バブル期は、1986年12月から1991年2月までの4年3ヵ月、崩壊は、1991年3月から1993年10月までになります。
懐かしき高度成長時代
バブル経済の前は、高度成長期の真っ只中、年功序列、終身雇用、定期昇給、ボーナス等、このまま突っ走るのではないかと思えるぐらい活気が満ちあふれていました。一億総中流階級とよばれ、マイホーム、3C、豊かで恵まれ、欲しいものはカネさえあれば、何でも手に入れることができる時代でした。親方日の丸という船に乗り、日本人全員が順風満帆で幸せを謳歌できると幻想をいだいてました。戦後焼け野原から復興を成し遂げた先人たちの血と汗と涙に対する恩と感謝を忘れた頃から成長に陰りが見え始めました。汗をかいて収入を得ることより、土地ころがしというマネーゲームにうつつを抜かしたこと、天罰が下りました。日本人の性格は、上昇気流にのっかっているときは、イケイケどんどん強きにいきますが、一度、その鼻をおられるとシュンとして、落ち込み立ち直るのに時間がかかり、今もって引きずっています。バブル弾けて以来、賃金アップ見込めなくなり、経済成長はマイナスに落ちていきました。
ギリギリの生活
バブル崩壊以後はデフレになり、経済成長は止まり、実質賃金は下がる一方です。収入と支出を差し引けば赤字になり、貯金を取り崩すことができる人できない人、どちらも、地獄=下流層の中に吸い込まれていきます。そのような環境の中でゆとりある貯金なんかできるわけもありません。備えるにも先立つものはお金です。憂いをなくすにはどうしたらよいのでしょう。
高齢者!生活風景 其の3
東京都狛江市で一人暮らしをする小西雅昭さんの場合
突然の搬送、貯金は尽き生活保護に71歳、社会保険料はムダだと信じていた。働きたくても、想定外のことが起きうる。近く、生活保護を受け始める。2年前、約240万円あった貯金は、ほぼ底をついた。80歳まで働き、1千万円ためれば老後はなんとかなるんじゃないかーー。そう思い描いていたライフプランが崩れたのは突然だった。
警備員として働いていた。2017年10月30日午前8時、横浜市内の工場現場で朝礼の最中、座りこんだ。立ち上がろうとして倒れ、そのまま病院に救急搬送された。くも膜下出血と診断。5カ月間の入院後、自宅に戻ったが、左半身にまひが残り歩くことも不自由だ。働きたいけど働けない。大誤算だった。
1973年のオイルショックのさなかに都内お中堅私立大学を卒業。会社員として営業などの仕事をしていたが、33歳以降はずっと非正規社員として働いていた。多かったのは短期の請負作業員で、日本を代表する大手メーカーの工事勤務をいくつも経験した。「60歳になると作業員として雇ってくれない」。警備員として働くことが増えた。
最期の職場では勤務も安定し、貯金もできるようになった。健康には自信があった。そして、自分なりの老後を描き始めたところを襲った突然の病・・・・。ただ、倒れた時に会社で健康保険に入っていたことは救いだった。「社会保険料を払うのはムダ」という考え方だったが、今は反省している。
朝日新聞
今、そして未来
未来、この二文字は明るい世の中が訪れるのではないかと抱かせますが、現実は厳しいのです。
・公的年金、給付水準は、このまま30年で現在より2割さがる。一方、現在、20歳の人でも長くて68歳9月まで働き受け取りを遅らせれば今の65歳と同じ水準を確保できる。
・65歳以上の労働人口は2008年の566万人から18年に875万人に、この10年で約300万人増えた。全体に占める割合も1.3%に上る。
朝日新聞より
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