植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

時は、瞬く間に移り行き 思い出もまた泡沫の如し

2019年09月02日 | 植物
早朝の散歩と軽いジョギングを始めて、6週間ほど経ちました。ダイエット、運動不足解消、血糖値対策などの効果が十分期待できます。やや涼しくなったせいでしょうか、朝6時頃になって見かける人々の数が増えてきました。

 ワタシたちの散歩道は、相模湾に注ぐ相模川の遊歩道や土手です。大昔から大きな河川災害が少ないゆったりとした1級河川です。蛇行も少なく平坦な地域を流れているせいでしょう。
 今朝気づくと、土手は雑草で鬱蒼と茂り、虫の声がうるさいほど聞こえてきました。よくみると蝉が短い地上での一生を終えて仰向けに転がっています。蝉の眼は後ろについているので、仰向けになっていると地面しか見えないと、誰かが仰ってました。

人間たちの生活や思惑に関わりなく正確に時が過ぎ、季節は夏から秋へ間違いなく移っています。この歳になると、時の移ろいの速さに、驚くしかありません。

小さなバラ園にしている緑地帯の片隅に、季節の花を寄せ植えしようと花壇を作っています。春先までパンジーとビオラが咲き誇っていました。チューリップも短い花期を終え掘り上げた後、今はガーベラとニチニチソウ、ガザニア、ホタルブクロなどが植わっています。

ガーベラを見ると、遠い昔に亡くなった母を思い出します。
田舎の農家を買い取って暮らした10数年、雑草の中に埋もれて野菜が隠れるような園芸の真似事をしていました。詩人で絵をかき達筆な才人でしたが、家事にはあまり熱意を持ってませんでした。
彼女が、好きな花は「ガーベラ」と言ったことを不思議に覚えています。



そのせいもあって、少しばかりですがガーベラを植えたのです。いつの間にか赤と黄色の花が咲いていました。

思い出は、深い森の奥にある池の泡と同じ、忘れた頃に泥の下から、ぽこリと浮かんで、すぐに消えます。自分の一生も人の一生も沼の生温い水の下であります。

この世の中で、亡母のことを思い出す人は、ほとんどいないでしょう。市井の人々は、お墓に入って何十年もたたないうちに忘れ去られます。ワタシにとって、生きた証や功績などはなんら意味はありません。せめて、自分の血を受け継ぐ子孫を残せば、立派に生き、立派に死んだと威張るつもりであります。

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