政治を行う際に、「権力闘争」であると認識して「倫理観」を軽視もしくは無視するタイプの政治家が少なくない。
安倍・菅政権は戦後の政治史の中でこのタイプの最右翼であろう。
しかしそんな中にあっても、政治は「権力闘争」であるが、同等以上に「倫理観」を重視した政治家もいる。
明治以降で言えば最右翼は西郷隆盛であろうか。
節義廉恥(せつぎれんち)を失(うしない)て、国を維持するの道決して有らず。
(国を守るのは道徳であり、節操や道義を守り、恥を知ることが大切だ、ということ)
恥を知る政治家であれば、自分の身内(妻や子供)を公的なポジションにつけるということは考えない。
あるいは部下の任免については公正たることを心掛ける。
廟堂に立ちて大政を為すは天道を行うものなれば、些(ち)とも私を挟みては済まぬもの也。
現在の総務省や農水省の不祥事の原因の大部分は、安倍晋三と菅義偉に帰すべきものだ。
官僚のみを「トカゲのしっぽ」のように切り捨てればよいというものではない。
あまりにも政治という「天地自然の道理」に「私利私欲」を入れすぎなのだ。
山田真貴子なる女性の言動を見ていて、豊臣秀吉に可愛がられた曽呂利新左衛門を思い出した。
「断らない女」とは?これも一つの生き方だが、しかし最後にしくじったようだ。
「人はただ、まめで四角で柔らかく、豆腐のように変わらぬがよし」 曽呂利新左衛門