母方の先祖が庭師だった。
母は女5人弟1人の1番上で、妹たちは皆植木が大好き。
母だけがそれほどでもないが、叔母達はそれぞれ樹医の資格を取ったり、畑を持つなど緑に親しむ生活をしている。
私も緑は好きだが、庭も無く、エアコンの室外機の並ぶベランダくらいしか鉢の置き場の無い生活…では、夏場の水やりが大変。この頃は欲しい花を見かけても、もう、増やすまいとココロに決めている。
道を歩いていて、樹木を観るのが何故か好き。何処にどういう木があるか、なんとなく良く覚えてしまう。そして何より好きなのが「種」を採取すること。花屋で見かける華やかな鉢物よりも、自分で種から育てることに喜びを感じてしまうのだ。芽が出て、大分大きく育ててもなかなか花まで咲いてくれないのだが、何年か前に種を取らせてもらった親樹がすでに抜かれて無く(あった土地の建物の建て替えなどで)なっていたりすると、今は亡きその親樹に「あんたの遺伝子はここで生きてるわよ〜」と心の中でつぶやくの。
何年か前に「おしろいバナ」の種の採取にハマったことがある。オシロイバナというと昭和30年代生まれにはなんとなく懐かしい花ではないだろうか。やたらいろんな所で咲いていて、幼稚園児のころのおままごとなどで種を潰してご飯の支度のつもりになって遊んだような。
そのオシロイバナは結構花の色が色々あるのだ。
よくあるのはショッキングピンクみたいな濃いピンク。
珍しいのは薄い桜色みたいなピンク。白もある。黄色も可愛い。夏らしいイメージだ。その黄色とショッキングピンクがかけ合わさったものもある。こういうのは「源平咲き」とか「キメラ」とも言うらしい。
とても面白く、いろんな色のを咲かせて楽しんだ。お金は全然かからない。オシロイバナは花の咲いているそばからどんどん種がつくので、綺麗に咲いているそばを通りかかったらちょっと頂戴してくれば良いのだ。大抵オシロイバナに持ち主は居ないし、団地の庭などで咲きこぼれているのを少しくらい頂戴したからとて文句は言われないでしょうと。そして成長が早いので、朝顔みたいにすぐに花が楽しめる。夏前に芽が出れば、盛夏にはもう満開だ。夏前に種を植えるには前の年に種を取っておく必要はあるかもね。
その昔は花屋で売られて、S30年代に流行ったとも言われている。いつから雑草の扱いになっちゃったのかな。緑の葉も綺麗だし、花もたくさんつくが、花の開く時間が夕方から夜にかけてが多い。必ずしもそうでもないのだが涼しい時間が好きなのか暑い盛りはやはり夕方からに翌朝かな。香りもある。夜にそばを通ると、フッと石鹸みたいな香りがする。安物の白粉の香りからその名が来ているのかもしれない。根には薬効もあるらしい。
でも、その繁殖力の旺盛さからか何故か嫌うひとも多い。見事に満開に花を咲かせている姿を観た翌日に無残に刈り取られている…というショッキングな光景を目の当たりにするのをは毎度のことだ。私は何故、花屋で売られている様な花ばかりが優遇されるのかよく分からない。
その芽が出た土地の権利が誰にあるというのだろう…とまで思ってしまう。たとえその土地のオーナーだったとしてもね、自然界にとって知ったことではないはずだ。
でも、それに負けないのがオシロイバナのすごい所。
刈られても刈られても…また新芽を芽吹く。全然空気読んでない!刈った奴をを嘲笑わんとばかりに!ヒッヒッ
オシロイバナは繁殖力は旺盛だが寒くなるとすぐ姿を消す。そして、翌春の梅雨時くらいからムクムクとツヤツヤした新芽を出す。宿根草だからてがかからない。自分で勝手に出てくる。手がかからないヤツなんだ。
私は街路樹の下に植えられているツツジなんかよりよほど綺麗だと思う。ツツジなんて行政の刈取り時期がズレてるから全然花芽を付けないし、葉はけばけばしていて煤煙を貯めて汚れてるし、ちっとも綺麗とは思えない。オシロイバナのほうが余程手がかからず、毎年美しい緑と可愛い花を付けてくれる。お金もかからない。どこか試しにオシロイバナの路をつくってみないかな?