ここのところ投稿が途絶えてしまったのは実は母が亡くなりバタバタ忙しかったからなのだ。
90歳まであとひと月、というところの母の死は、大変穏やかで、それまで思い描いてははらはらしていた、よくありがちな孤独死とはならずに済み、急に危篤状態になってからも、子や孫、妹達などと駆け付けるもの皆間に合い、最期の別れを交わすことが出来た。
私は内心ホッとした。長い介護生活で、すっかり母親とは共依存にあった兄の今後がむしろ心配である。早く母の不在に慣れて、自分の体や、生活にもっと関心を持って、残りの人生を楽しんでほしい。
そんなことがあって、久し振りに母の姉妹である叔母達など最近は残り少なくなった親戚と顔を合わせた。
長姉であるうちの母が90歳。叔母達は末の妹達2人しか残っていない…その彼女等も70代半ば。昔は子沢山が普通で、母は5人姉妹に弟を入れた6人姉妹弟だった。
私は父が幼い頃に他界したので、母子家庭に育ったが、この叔母達が務めを辞めて、母の経営する喫茶店を手伝ってくれたおかげで毎日が賑やかで、寂しい思いというものをしたことがなかった。
古き良き昭和の40年代を、賑やかに過ごした日々は、叔母達にとっても人生で一番楽しい独身時代最期の頃の思い出深い日々だったのだろう。
また逢う日まで
逢える時まで
別れのそのわけは
話したくない
叔母の1人は、当時レコ大を取った尾崎紀世彦が好きだった。店は某テレビ局の近くだったので、叔母は店の手伝いを抜け出して紀世彦の出待ちをするためにテレビ局の裏口に立った。
やがてこの叔母は、そのテレビ局の照明係と結婚するのだが…。その叔父も…。
みんな亡くなってしまったなぁ。
尾崎紀世彦も。
ふたりでドアを閉めて
ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう
90歳まであとひと月、というところの母の死は、大変穏やかで、それまで思い描いてははらはらしていた、よくありがちな孤独死とはならずに済み、急に危篤状態になってからも、子や孫、妹達などと駆け付けるもの皆間に合い、最期の別れを交わすことが出来た。
私は内心ホッとした。長い介護生活で、すっかり母親とは共依存にあった兄の今後がむしろ心配である。早く母の不在に慣れて、自分の体や、生活にもっと関心を持って、残りの人生を楽しんでほしい。
そんなことがあって、久し振りに母の姉妹である叔母達など最近は残り少なくなった親戚と顔を合わせた。
長姉であるうちの母が90歳。叔母達は末の妹達2人しか残っていない…その彼女等も70代半ば。昔は子沢山が普通で、母は5人姉妹に弟を入れた6人姉妹弟だった。
私は父が幼い頃に他界したので、母子家庭に育ったが、この叔母達が務めを辞めて、母の経営する喫茶店を手伝ってくれたおかげで毎日が賑やかで、寂しい思いというものをしたことがなかった。
古き良き昭和の40年代を、賑やかに過ごした日々は、叔母達にとっても人生で一番楽しい独身時代最期の頃の思い出深い日々だったのだろう。
また逢う日まで
逢える時まで
別れのそのわけは
話したくない
叔母の1人は、当時レコ大を取った尾崎紀世彦が好きだった。店は某テレビ局の近くだったので、叔母は店の手伝いを抜け出して紀世彦の出待ちをするためにテレビ局の裏口に立った。
やがてこの叔母は、そのテレビ局の照明係と結婚するのだが…。その叔父も…。
みんな亡くなってしまったなぁ。
尾崎紀世彦も。
ふたりでドアを閉めて
ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう