Ring-A-Ding 日々ロック,R&B,そしてゴスペル〜💋

おばちゃんがココロに浮かぶ由無し事を、気ままにつぶやく。ロックな時間。

また逢う日まで

2018-02-27 04:18:56 | 音楽
ここのところ投稿が途絶えてしまったのは実は母が亡くなりバタバタ忙しかったからなのだ。
90歳まであとひと月、というところの母の死は、大変穏やかで、それまで思い描いてははらはらしていた、よくありがちな孤独死とはならずに済み、急に危篤状態になってからも、子や孫、妹達などと駆け付けるもの皆間に合い、最期の別れを交わすことが出来た。

私は内心ホッとした。長い介護生活で、すっかり母親とは共依存にあった兄の今後がむしろ心配である。早く母の不在に慣れて、自分の体や、生活にもっと関心を持って、残りの人生を楽しんでほしい。


そんなことがあって、久し振りに母の姉妹である叔母達など最近は残り少なくなった親戚と顔を合わせた。
長姉であるうちの母が90歳。叔母達は末の妹達2人しか残っていない…その彼女等も70代半ば。昔は子沢山が普通で、母は5人姉妹に弟を入れた6人姉妹弟だった。

私は父が幼い頃に他界したので、母子家庭に育ったが、この叔母達が務めを辞めて、母の経営する喫茶店を手伝ってくれたおかげで毎日が賑やかで、寂しい思いというものをしたことがなかった。
古き良き昭和の40年代を、賑やかに過ごした日々は、叔母達にとっても人生で一番楽しい独身時代最期の頃の思い出深い日々だったのだろう。




また逢う日まで
逢える時まで
別れのそのわけは
話したくない

叔母の1人は、当時レコ大を取った尾崎紀世彦が好きだった。店は某テレビ局の近くだったので、叔母は店の手伝いを抜け出して紀世彦の出待ちをするためにテレビ局の裏口に立った。
やがてこの叔母は、そのテレビ局の照明係と結婚するのだが…。その叔父も…。
みんな亡くなってしまったなぁ。
尾崎紀世彦も。

ふたりでドアを閉めて
ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう

手仕事の時間

2018-02-06 16:24:46 | その他
子供の頃から手芸が好きで、独学で手編みやタティングレースをやっている。
こういう寒い季節や花粉の飛び交う季節は、家にこもって手芸に明け暮れる時間が多い。
大抵、朝早く起きて"しん"と静まったなかで編み進めるのが好きだ。

一日のうちで自由に使える時間といえば、仕事前のこの時間だけなので、早起きをしている。3:30。そもそもは姑を介護して居た時に、一度夜中に姑にオシッコさせるため起こしていた時間なのだが、どうせ4:30には仕事が始まるのだからもう、起きてしまえ!と、始めたのがきっかけ。姑が亡くなった後、せっかく着いた早起きの習慣を戻すこともないなと、自分の自由時間に充てることにした。その代わり、寝るのは夜の9時。起きていられません。

なんと夫がインフルエンザで仕事を連休することとなった。私の方は元気だからといって出歩く訳にもいかず、なんだかそろそろ花粉も飛び始めるようでもあるし、手芸でもしているしか無い感じ。

じっと手芸に集中していると嫌なことが忘れられている…ということがあるか?というと私の場合はあまり無い。手芸というのは、ある程度気持ちが落ち着いて居ないと出来ない。これは私の信頼する先輩のY子さんも言っている。心配事や仕事に追われているハラハラした心持ちでは腰が落ち着かないのだ。
よく、手芸家…と言われるプロ?昨今はネットで作品を公開したり販売したり出来るので、プロもアマもないくらいだけどそういう人達はなんかみな、"良家のお嬢様とか奥様"に見えてしまうのは私の偏見、うがちすぎだろうか?なんとなくおっとり、そして生活感が無い世界だからだろうか。

考えてみればアーチストなんかもそうだろうし、いわゆる職人さん…というのも銭金ではない部分が尊かったりするのだろうけど、そういうイメージが私の中で"良家"なんていう風に繋がっちゃうのは私自身のコンプレックスがからんでるのかな。なんかみんな幸せな豊かな生活してる人に見えてしまうのね。悩みの無い人なんてこの世にいないのだけど…。
ちなみに、嫌な事を忘れるには楽器の練習や歌の練習が良いと思う。これは使う脳の部分がちがうのか?それとも集中の度合いが違うのか?いずれにせよ悩みを忘れて、サッパリ出来る。身体を大きく使うっていうのが良いのかもしれない。

手芸に集中しているつもりでも、落ち着きの無い私は頭の中であれこれ考えてしまう。暖かい部屋、暇(こんなことしていられるんだから)、用意したお菓子やお茶、音楽を聴いたりラジオをつけたり…そんな中で手を動かしながら幸せの妄想に手放しで浸ればよいのに、頭の中は次第にネガティブな方向へ…😩こんな事ばかりしてたら太るなぁ、いつまで休まなきゃならないんだろう…年初めはただでも営業日数が少ないのにあーあ貯金取り崩さなきゃだなぁ、こんな暇に役所とかに行く用事しとかなきゃな、帳簿もつけなきゃ!あーやだ!動きたく無い!

そうして、私の頭の中は手芸の世界の優雅とはまったく逆の方向に進んで行くのだった。
こういうのはやっぱ作品に出るのだろうな。
とほほ…性分というのは哀しいもんだ。

春よ来い、のいちごちゃん🍓

老いの棲家

2018-02-02 07:09:22 | その他
先日、"自立支援住宅全焼11人死亡" というのがあった。
昨晩はNHKの深夜のニュース番組でも取り上げていたし、今もラジオの番組で中高年のパーソナリティが深刻に語っている。年代的に人ごとでは無いのだ。

昨晩のNHKの「クローズアップ現代」では、実際に今住んでいるアパートの立ち退きにあっている高齢者を取材して、事態の深刻さを伝えていた。
立ち退きにあうのは仕方ない、しかし問題は次に借りられる住居がないのだ。高齢者にはなかなか貸してもらえない。不動産屋は"孤立死"を避けたいらしいのだ。でも人は大抵、誰だってたった1人で死ぬ。死んで1週間やそこいら誰にも気付かれないなどは、私だって覚悟している。
まぁ、そうすると、その部屋を次に貸し出すための改修費が¥100万くらいかかるんだって。だから、連帯保証人が無いとダメらしい。長生きして身寄りがみんな死んじゃってるなんてありえるよねー。あと、離婚して家族は解散しました…とか。昨今は。
だから、最近はそういう時の保険に入ってもらうなどあるようだが、保険料はかさむよね。

よく、住まいは賃貸か、持ち家か?とか話題になるが、こういう事例を出されると、やはり苦労しても持ち家なのか…?と考えてしまう。

だけど、みんなそんなに持ち家を持ててるのだろうか?
持ち家というのは固定資産税もかかるし、修繕維持費も自分持ち。ある程度年数が経てば建て替えって必要も出てくる。通勤地が変わっても、家族構成が変わっても、おいそれと変更はきかないし、私は普通の若い務め人なら賃貸の方がいいんじゃないか?と思っている。
でも、年をとってこういう事態が発生するとなるとね。

ここのところ空き家について書いた。
隣の空き家は売りに出されていて、その際、隣人から我が家との境界線の確認を頼まれて、その家の中に上がって、裏庭を見る…という状況があった。
上がらせてもらって、見るとも無く見たその家の中は、かれこれ一年くらい空き家だが、まだ何も片付いて居なく、長いこと老夫婦2人の生活だった割には大きな食器棚にぎっしり食器が詰まっているくらいだった。
昭和の良い時代に娘2人を育て上げ、奥さんは専業主婦として充実した人生を静かに送られた家の、一番賑やかなころの風景が立ち昇って来るようだった。
施設に移られたその家の奥さん(今はもうお婆さん)は、キチンとした方で、よく不用品を着々と捨てているように見えたが、それでも食器などは、「娘が使うかもしれない…」などと考えていたのだろう。もったいながる年代だ。
それこそ、今すぐにでも、4〜5人で住もうと思えば住める状態だった。
こういうのをグループホームに利用できれば…とも思うけど、そんなに簡単なことでは無いのでしょう。ね。

クローズアップ現代で取材されていた高齢者は、けして人生を怠けて生きたわけでは無い方々だった。人生に成功する人はほんの一部なのだ。子供や家族の在り方だって、どんどん変わってゆく。
まともに真面目に働き続けて高齢になったのだ。よく、自己責任とか言われるが、こんなまともな人達が、こんな憂き目にあって良いのか?だいたい、国民年金の平均的な給付額を調べて見ると良い。これで、暮らして行けと言うのか?って額だよねー。死ぬまで働きたいとして、働き口があるのか?住めるところがあるのか?
無い?どうすればいいの?

保育園不足で今は騒いでるけど、そしてどんどん建てられているけど、そのうち本当に必要なのはこうした単身の高齢者の住居になって行くだろう。その時のため保育園を高齢者施設に直せるようにしておいた方がいいかもしれない。
もともと江戸は単身者の都市だったようだ。田舎で跡継ぎの長兄以外は結婚も出来ない家業(農業とか)手伝いだから、江戸に出てくる人が多かったらしい。
風呂屋とか総菜屋とか多く、単身者にはコンビニエンスな都市だったのはその頃からだとか。
昔は短命だったから高齢者なんてそう居なかったし、長屋という低額家賃の住まいもあった。そこの大家は親も同じと言われるくらい相談事に乗ってくれる。問題はそう無かったんだな。…現代は江戸時代に学ぶことが多そうだよねー。

とにかく今の80、90歳代は元気だ。だいたいろくすっぽ予防接種も無い時代に子供時代を生き抜いて、その上戦中戦後を生き抜いてきたのだから凄い強い体力、免疫力を持った人類なんだ。
そう考えると、この先、私達昭和30年代生まれが長生きするとは限らない。精神力も柔わだし、食べる物も添加物を使用されたもので育っている。昔の人のような丈夫さは無いだろう。そして、医療は進歩してきてもあんまり長生きしたく無くて、無理な延命治療も選択されなくなって来ているし。
しかし…本当にこの"自立支援住宅"というのは他人事では無い。年老いて、仕事が無くなり、収入は微々たる年金のみになった時、例えマンションの一戸を持っていたとして、老朽化したときの改修費を出せるのか、建て替えとなったらどうするのか、たとえ一戸建ての家があったとして、維持して行けるのか、面倒見てくれる人はいるのか?
そうなった時に行き着くところになり得るのか?
私がこの土地に引っ越して25年。周辺は大きく変わった。当時、私くらいの年だったご近所さんは大方居なくなった。
この先25年たったら、私も立派な高齢者だ。
どこで、どうしているのだろう…。

都市熱と今年の寒さ

2018-02-01 04:26:15 | その他
大雪が降った後、東京も氷点下の気温が続いている。
裏庭の植木は昨年暮れにほとんど処分してしまったので残るオリーブとアロエが気になってはいたが、まぁ、大丈夫だろうとタカをくくっていた。
アロエはよくお庭の直植えにもなっているし。

それにしても、今年は寒いっ!
しかし、乾燥しているので、寝るときに暖房は消して寝たい。
私はフリース素材の厚手のパジャマを持っているのだが、これまで、それを着て寝るのは余程の寒い日で、一冬に2〜3日あれば良い方だった。何しろ、更年期のせいもあるのだろうが、そのパジャマは暖か過ぎて、暑くて寝られないのである。
…それが、この冬はそのパジャマをずっと着て寝ている。洗い替えが無いと不便なので、同じような素材のをもう一着買ってしまったくらいである。

先週の氷点下の朝7時過ぎに、洗濯物を干そうと2階のベランダに出るサッシ戸を開けようとすると…開かない?ん?カギは開いている。何故?
なんと、下部に溜まった結露の水分が凍りついているのだった。
ここに住んで25年経つが、こんなことは初めてだった。いや、都心の真ん中のこの地域で私は生まれ育ち、今年で57年目。こんなことは初めてだった。
そりゃ、子供の頃は朝の通学時に霜柱なんか踏みながら行ったりもしたよ。でも、自宅の窓が凍りつくなんて!

私は仕事上朝が早い。平日起きるのは3:30である。
その日も、たしか5時台に一度ベランダに出て、ゴミ箱にゴミを捨てたはず。その時は開いたのだ。
気温というのは日の出の頃にぐっと下がる。だからその後、夜明け時に凍りついたに違いない。

ティファールで湯を少し沸かし、戸のレール部分に垂らすと、氷は溶けてスルッと開いた。

最近、うちの周りは空き家だらけ…という話は前に書いた。確かに、氷点下…という気温が続くのは珍しいことではあるが、こんなにウチが冷えるのは、周りの空き家に関係するのではないか?…と、私は考えた。

年寄りとはいえ、人が住んでいた頃は、隣のエアコンの室外機の温風が家々の間の路地を漂ったり、夜になると隣のお爺さんが風呂に入る音がして、やはり湯沸かし器の室外機が回ったりしていたはずである。
それだけでも周辺の"都市熱"みたいなものがあったはずである。
以前、本で読んだ、昔戦争中に満州に住んでいた人の話を思い出した。
零下何十度という環境の中、燃やすものが何も無くなって何日も火を燃やさない、火の気のない生活をしていると、家族全員で一緒に固まって寝ている布団の湿気が凍って、寝ている間に凍死することがある…というのだ。
周り中の空き家は、近々のものでも、かれこれ一年以上、火の気のない状態だ。冷え切っていると言っていいだろう。
「近隣の熱が下がって、寒いのではないか?」と
私は考えた。

空き家の一軒が取り壊されて更地になった。
ここに住んでいた賑やかなオバさんを思い出す。
晩年は独り住まいになって、明け方、救急車で一人で搬送されたのを目撃したこともある。誰も見送る人も無く。たしか子供は息子と娘の2人くらいいたはずだ。
今頃は毎年咲いていた、その家の庭の紅梅の木もハクモクレンも無くなった。
この春は少し寂しい。

大雪の日の葉牡丹。