昔住んでいた町の写真を見ている。
町の中心部の交差点を近くのビルの上から写したもので、私の実家や、周辺の商店街が広がっている。今からおよそ30年前の風景である。
現在では、この交差点は区画整理が進み、今は実家も、商店街も、全て無くなり全く様変わりしている。
私がこの画面の風景の中で生活していた頃は、まだ結婚したてで長男がまだ2歳くらいの頃だろう。今から思うと若いというのは不思議なもので、何にも持っていないのに実になんの不安も無く、幸せだった…ということだ。
この写真を眺めていると、その頃の自分を思い出し、その頃の生活を思い出し、ホロリとする程懐かしい故郷を感じる。
町が様変わりする程の年月が経つと、実に人も随分と亡くなっている。あの人も、この人も…。そうやっていろんなことがあって、町の歴史は忘れられていくのだろうな。私の息子達は小さすぎてこの町に居たことすら覚えて居ないし、その頃若かった私達自身も60を過ぎて、そろそろこの世から去る事があったとしてもそう可笑しくもない歳になってきている。
この秋、兄が死んだ。
末期の癌でここ数年、治療していたが、遂に力尽きた。
生涯独身で子供も居なかったので、その後片付けは大変だったが、ありがたい事に甥がそのまま住んでくれるというので、兄の荷物の大半を捨てる…という作業を大分肩代わりしてくれた。
ここは兄が、2年前に亡くなった母と30年近く住んでいた家なので、本当の生まれ育った家ではないが、私は月に1度は帰った「実家」のようなものであった。訪れると料理好きの兄はいつも、ご飯の支度をしていてくれた。「ひとが作ってくれたご飯」なんてここでしか食べられない。私のためにご飯を作ってくれるひとはもう兄しかいないんだな…と思ったりしたもんだ。
20代の甥が住むこととなり、もう余り訪れることも無くなる
捨てるに忍びなく、しかし、全く必要の無い物の一つが「アルバム」だ。
祖母の若き日、昔の東京、今は亡き大勢の親戚縁者の弾けるような笑顔や記念の集合写真、休日のデパートの大食堂で、お子様ランチを前にはしゃぐ幼い頃の兄達。アルバムの台紙には父の字で、「オモチャ買ってくれないとお子様ランチ食べてあげない!とはたまりません」と書かれている。
そんなものが詰まった古びたアルバムが押し入れの一角を占めている。
私が持っていたとしても仕方のない物だしウチにだって置いておくスペースも無い。もらって保存しておいたところで、やがて私の亡き後はゴミだ。
甥にとってはなんの思い入れもない知らない人たちの写真だから、もうこの際、彼らの判断に任せて捨ててもらおう。
あまり良い気分では無いだろうが、私の知らない間に無くなってしまえば諦めもつく。
終活、終活というが、人というものは自分はそんなにすぐ死ぬとは思わないものらしい。兄の病院に行って、主治医の説明を聞いた時、私は「そうか、もう長くは無いんだ」と察したが、共に話を聞いていた兄自身は、「…そうか、俺もあと1年くらいかな…。」とつぶやいた。
その直後の退院後、自宅療養となり、およそ1ヶ月あまりの命だった。
時を同じくして、私同様 急死した親戚の死後の後片付けに大変だった知り合いの話を聞いた。高齢で独居、子供無し、死後数日して、不審に思った近所の人の機転により警察に通報があって、発見された模様。
数年前に亡くなった奥さんの遺骨もまだ納骨されずに家にあったらしい。飼い猫の散らかした家は凄まじい様相だったそうだ。
おんなじ!ウチの兄も夏前に入院して、酷暑の間ほったらかし(私も、このコロナ禍の中にあって、なかなかいけなかったのだ)だった家の中は酷かった。残り湯が張られたままの湯船のフタを恐る恐る開けると…水が真っ黒になっていた。
とりあえずどうにか自宅療養できるよう片付けたあの夏の日は、私は一生忘れないだろう。