Ring-A-Ding 日々ロック,R&B,そしてゴスペル〜💋

おばちゃんがココロに浮かぶ由無し事を、気ままにつぶやく。ロックな時間。

バードに誘われて3

2019-09-08 10:51:56 | その他
前回からの続き…
朝鮮の人々がどれほど日本人を嫌っているか…。

今こうして毎日のように「NO安倍!」だとか日本製品不買運動だとか韓国での反日の様子が報道されているが、韓国人の反日感情を、私はこれはせいぜい第二次世界大戦あたりからか、…などといい加減な知識で考えていた。
ところがどっこい、125年前にバードが朝鮮を旅していた頃すでに「朝鮮人は日本人が大嫌いで、おもに清国人と取引している…」と表されている。なんでも豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った時からの恨みがあるようだ。当時の朝鮮にさしたる宗教がなく、さらになぜか仏教僧侶が、一般庶民から見下されているのは、朝鮮出兵の時の倭人(日本人)が侵略してきた時に、仏教僧に変装して都に入る許可をもらい、守備隊を虐殺したからだと記されている。その真偽はいずれにせよ、日本の京都にも「耳塚」なるものがあるくらいだから昔とはいえ、作り話でもないだろう(「耳塚」とは何かな?と思ったら、検索してみて下さいね)。



バードが朝鮮から満州、奉天へと旅を進めるうち、やがで極東アジアの情勢が刻々と変わってくる。朝鮮で起きたクーデターをきっかけに、在韓の日本人(日本人は、この日清戦争前でも郵便施設を携えて外国郵便をはこんだり、国立第一銀行の支店を開いたり、大規模な商売をおこなったりしていたようだ)を守備するために日本軍が上陸してくるのだった。

日本はこの先、朝鮮を宗主国清から独立させ(その独立をバードは"日本からのプレゼント"と評している!まあ…今の香港を観ていると、たしかに、あの昔に独立しておいてよかったんじゃない〜^_^別に恩着せるわけじゃないけど〜、とも感じるが)、国の運営に大きく関わってくるのだった。
…そんなことも、こんなこともあったのか…と知らずに生きていた私。
今の日韓問題は、こうして古ーい過去が、韓国の人達の意識の根源にある事を知って観察しなければならない問題なのだなとつくづく思う。イジメでもなんでも、やった方は忘れても、やられた方は忘れられないよね。

最期にバードは「私は日本が徹頭徹尾誠意を持って奮闘したと信じる。経験が未熟で、往々にして粗っぽく、臨機応変な才に欠けたため買わなくともいい反感を買ってしまったとはいえ、日本人には朝鮮を隷属させる意図はさらさらなく、朝鮮の保護者としての、自立の保証人としての役割を果たそうとしたのだと信じる。」と記している。



極東のごく小さな範囲で起きた歴史的な出来事は、多くが忘れ去られてしまっている。
はるか昔、たまたま遭遇したこのイギリスの女性探検家の本は今こそ、両国の若者に読んでもらいたい。



余市のニッカウイスキー蒸留所の中の洋館

バードに誘われて 2

2019-09-05 04:31:22 | その他
イザベラ バード に関しては、とても面白かったので引き続き「朝鮮紀行」を読む。これも「日本奥地紀行」に負けず劣らず分厚い文庫本なのだが、北海道の旅の間中ホテルやフェリーの中で読んだ。
これには夢中になった。
折しも、対韓輸出規制や徴用工問題、慰安婦問題など、様々な局面で対峙し、悪化する日韓関係が、日々これでもかと報道されている真っ最中である。

この本は、1894年から1897年の間の四度にわたる朝鮮旅行のリポートである。時は日清戦争の戦中戦後というさなかにあり、単なるのどかな旅行紀行文というものの範疇を超え、当時の朝鮮の世相、文化、風俗や日本や清(当時の中国)そしてロシアとの関係をバードが第三者的立場から観察した非常に興味深い内容だった。



私の様な無知で不勉強の者には、日韓関係がどれほど根の深いモノであるのか、この本はを読んで初めて知った。私は歴史には余り興味が無かったのである。
しかし、タイムトラベラー バードに連れられる様に当時の朝鮮(その多くが、今で言う北朝鮮の範囲)の街を歩いていくに連れ、当時の朝鮮の市井の人々の日本人に対する感情、自国の政府の有様、そして、世界情勢など、今はスマホ片手にいちいち画像検索などすると、その事象に関する画像や説明が瞬く間に検索できるので、そんな作業を加えながら1ページ1ページを丹念に読むことが出来る。
…すると、当時の朝鮮の姿があたかも「韓流ドラマ」を見るように浮かび上がってくるのだ。



日本の旅の時も、助手の伊藤は面白かったが、今回の旅のお供のキム爺さんやウォンという男も面白い。キム爺さんには更に雇い人がいて、そのグループでもってまず舟で漢江を遡る。
このキム爺さん、サボる事には天才的でバードは1日10マイル行ければ上出来!とあきれる。ウォンは器用な男で、食料の貧弱さを補うために土手に生えている玉ねぎやニンジンを探し、水で練った小麦粉を竹筒で延ばし、缶詰の蓋で切ってフライパンで焼いたりして食べたそうである。バードは旅の先々で、鶏や卵を入手して、大抵カレーを食べていたようである。

当時の朝鮮の通貨は当時公称3200枚で1ドルに相当する穴あき銭しかなかったらしい。この貨幣は数百枚単位で縄に通してあり、「100円分の穴あき銭を運ぶのには6人の男か朝鮮馬が1頭いる。たった10ポンドなのにである!」と嘆いている。銀の価値はまだ通用せず、一般人はそれを見たこともない。しかし、軽量化のためにバードは「円の銀貨を詰め込んだカバンを持ち、自分の運の良さをあてにすることにした」と。

日本でも朝鮮でも、西洋人というものをいまだかつて見たことのない人々の好奇の目というのがバードを1番悩ませた事で、日本ではいく宿いく宿で、障子の穴が無数に開けられ、そこから沢山の眼が覗いている…というプライベートの無さに耐えなければならなかった。
しかしそれが朝鮮となると愉快で、
「一般庶民は好奇心はすさまじいものの粗野ではなく、ある程度離れて見物していた。しかし庁舎に必ずたむろしている知識層から私たちは育ちの悪い無作法な行為を何度も受けた。私の居室のカーテンを開けて中を覗き、やめていただけないかと慇懃に頼んでいる船頭に威嚇するものまでいた。中略。清風では腰まで水につかって舟を追いかけ、草むしろの屋根の下を覗こうとするほど女性達の物見高さは大変なもので、最後にもう一目見ようと岩に登った1人がバランスを崩して河に落ちてしまった」
とまぁ、韓流ドラマの時代劇のコミカルな場面を再現するかのような面白さである。

今となっては行くこともままならぬ北朝鮮の山岳地帯の風景の美しさ、そこを超えて満州では大洪水にあい、木の葉のように舟は流され、水浸しになりがら、ある時は避難民を救助したり、自分も高熱を出して倒れたりしながら旅を乗り越える。昔からこうして農民は、様々な苦難に合いながらもあるものは営々と農業を継ぎ、またあるものは流離い、それでも人は生きてきたことを知らされる。


この先まだちょっと続けます、


知里幸恵さんの記念館

バードに誘われて

2019-09-03 04:27:07 | その他
イザベラ バード という人を知っているだろうか?
今から約140年以上前に世界中を旅した英国夫人である。1878年(明治11年)に来日し、東京から東北さらに当時 蝦夷と言われた北海道まで足を延ばしている。
その様子は著書「日本奥地紀行」として平凡社ライブラリーから文庫化されている。



何年か前、夫が買ってきてからずっとあったこの本を今年になってやっと何気なく読みだしたのが、この夏の私の北海道旅行への動機だった。
140年前の日本。江戸時代から明治になったばかりの頃である。
まだまだ外人など見たこともない日本人ばかりのこの国の、それもさらに東北の奥地を旅するとは!それも単身、女性で!
140年前に英国には女性にもすでにこのような自由があることにまず驚きだが、バードの体力、精神力にも感服する。日本滞在の時は48歳くらいだったようだ。日本では平均寿命もさして長くない時代であったろうに。

すでにバードの住む文化的背景からすると、当時の日本の田舎など、ほとんど未開の地を旅するようで、衣食住すべてに苦労するが、彼女の場合、好奇心が全てを凌駕するようだ。天候や宿での事件にブツブツと文句を言いながらも旅を断念する気はさらさらなく、助手に雇った「伊藤」という日本人青年をお供に精力的に旅を続けて行く。


このようなカルチャーショックの連続の旅は、外国人というよりも現代の私たちに近く、あたかも現代人がタイムトラベルしているような感覚を与えて興味深く、私は日本人でありながら、当時の日本を第三者的な観点から観察するこの英国夫人に、「昔の日本」を教えてもらうことになるのだった。



今回の北海道はバードの辿った道を逆にさかのぼることになるルートだったが、残念ながらバードが心惹かれたアイヌの文化にはさして触れられずに終わってしまった。
やはり、夫と行ったのが間違いだった!
こういう文化的資料館とか、観光遺跡みたいなところに寄るのを面倒くさがって、ほとんどただのドライブなんだから!先を急ぐ旅でも無いのに
それに、あいにく白老のアイヌ民族資料館はリニューアルのため休館だったし、登別では面倒くさがる夫をなだめすかして、とても分かりにくい場所にある「アイヌ神謡集」で有名な知里幸恵さんの"銀のしずく記念館"にも行ってみたが、なんと!よりによって定休日アイヌ文化に拒まれているようなありさまだったのだ。


バードさんは、蝦夷の旅で出会ったアイヌの人々に痛く感動した。その純朴さ、正直さ、無欲さ、そして気高く、思いやりに溢れた人々であることに。
そして、それ故に、小賢しく、器用で、貪欲な日本人にどんどん侵略されてしまいつつあることを、静かな視線で観察している。

私の子供達が小さかった頃に、連れてこられていたならなぁ…そう思って切なくなるほど今でも自然が深く、濃く、大きな北海道。
そこにあった歴史の様々な出来事が、遠い夢の様に今は感じられる。
140年前の旅…。


写真は乙部の海岸部 奇岩の連続