Ring-A-Ding 日々ロック,R&B,そしてゴスペル〜💋

おばちゃんがココロに浮かぶ由無し事を、気ままにつぶやく。ロックな時間。

冥土のお客

2018-04-08 19:34:15 | その他
Gさんは昔からマメな人だった。
私の生まれた町の花屋さんのおじさんだ。
何故マメなのかといえば、例えば町の祭りの後の"鉢洗い(祭りの後片付け…からきた言葉で、いわゆる打ち上げの会などのこと)などで、子供達のために「東京サマーランド」に行くのが恒例行事であった。そういう時、当時はほとんど町会中の人が家族そろって参加したのだが、彼はその参加者の女性全員に声をかける。
「よっ!いいオンナだねぇ〜」
「粋な水着姿だねぇ〜!」
「たまんねぇな〜」などなど
下は3歳から上は70〜80歳くらいまで、漏れなくだ。
小さい子は、不思議そうな顔しているが、オバちゃん達はまんざら悪い気もしないようで、「やあねー!」とか言いながら笑っている。温厚な丸顔、たぬきのぬいぐるみみたいなおじさんだった。
釣り好きで、特に鮎が好きで、お土産にくれる釣果の鮎は、1匹づつ専用のポリ袋に綺麗に入れられているのだった。


我が家が隣町から今の場所に引っ越しても、Gさんはひと月に一度はやって来て、うちの店の「ごぼう天蕎麦」を食べて帰る。最近はあちこち体の具合も良くないようで、うちに来る日は病院通いのついで…と、なっていたようだった。
その日も午前中の、ちょうどお客が途切れがちの空いた時間帯にやってきた。いつも同じぐらいの時間帯に来る。何も変わったことは無かった。後から思えば、その日のGさんの服装が、いつものジャンパーのようなジャケットにキャップの帽子🧢ではなく、風変わりな筒そでの茶色いガウンのような丈の長い上着に、薄い髪の頭にピッタリのニット帽。ユダヤ人の被るような、外国の司祭さんが被るようなね…。
そんな所がちょっと違っていた。でも、その時は別に何とも思わずに、普通にいつものような世間話をした。


その時にはすでに私の母は葬儀も終わっていた。昔Gさんとも同じ町会にいたとはいえ、もう母は遠くに越して長いこと経っているし、わざわざ知らせて後から香典など持ってこられても困ると思い、その話はしなかった。
その代わり、本当は知らせなきゃいけない人がGさんの幼友達にいるのだが、連絡先が分からない。なので、さりげなくその友達の噂話をした。
するとGさんは、「おおっ!あいつなら東村山の花屋で知ってる人が居るんで、時々話聞くよ。」と言った。
普通に話をしていたが、どことなく元気がないようでもあった。
そのあと、バタバタとお客が入って来たこともあって
会話は遮られGさんは蕎麦を食べて帰った。
Gさんが「ご馳走さん〜」と出て行った後、私は両替のために銀行に行くので外へ出た。
うちの前の通りを反対側に渡った歩道の先にGさんの後ろ姿が見えた。茶色の筒そでのガウンの様な後ろ姿を見ながら、なんで向こう側に渡るのかなー?と私は考えていた。歩いて帰るなら渡る必要は無い。しかし、バスで帰るならその先にバス停がある。…だからかな?と、思った。


数日後、兄からLINEが入った。
「☆○*君(連絡を取りたかったGさんの幼馴染)に、母が亡くなったと連絡ついたらしい。Gさんの葬式で、知ったらしいよ。」と。
Gさんの葬式?誰が亡くなったの?
兄「え?Gさんでしょ?」
私「いつ?」
兄「さー?、先週ぐらいらしいよ。」
私「えー⁈先週、うちに食べにきたよっ!」



2〜3日して、Gさんの息子さんが挨拶に来た。
「実は、父が亡くなったんです。」
「聞いた。いつだったの?」
「8日の未明です。」
「お父さん、最後に食べに来てくれてたのよ〜。
じゃあ、その、直後に倒れられたのかしら?」
「まさか…。父は1日には、母に連れられて病院に行き、その直後からもう、動けなかったんです。」
「‼︎。うそー?たしかに来たわよ。ゴボ天蕎麦食べたもん。私、作ったもん。確か、私その後両替に銀行行ったから、その時のレシートあるはず!」
レシートを探してみると、日付は8日、となっていた。
たしかにGさんの歩いていた通りの向こう側、まっすぐ先には、Gさんの亡くなった病院の方向には違いなかった。


後から話を聞いてみると、Gさんは亡くなってるはずなのに親友のケータイにも着信を入れていたらしい。私が母の死を伝えて欲しかった人にも、結果的にはGさんのお陰で伝わったし…。
マメな人だったんだなと、つくづく思う。
私と夫はGさんの好きだった「ごぼう天蕎麦」を作り、
Gさんの奥さんにお線香代わりに上げてもらうようお願いした。毎度のご贔屓、ありがとうございました。


お花屋さんのGさんに捧ぐ

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