昨日の、母逆切れから一転(汗)
先程、帰宅した母は、すこぶる機嫌が良い…。
なんのことはない、氷川きよしのコンサートに行ったからだ。
(アホな話である)
そして、昨日の喧嘩の原因であった、母の叔母のお見舞いも行けて
満足だった様子を、人の部屋に上がりこんでは、とうとうと話す母。
氷川きよしの回想に到っては、陶酔甚だしく、まるで今の氷川きよしが
あるのは、自分のお陰くらいに言って憚らない様子は馬鹿丸出しである…。
一体、昨日の感情論で突き進む勇猛果敢かつ無知高邁な姿はいずこ…?
そんな人でも、母であることには代えがたいので仕方がない…。
これが子供として私が感じる矛盾である。
我が家は、両親VS子供の関係が、とってもウエットである。
ウエットどころかベタベタだ…。
しかしながら、20代後半、さらには30を過ぎ、いい加減にこの関係も
改正するべき点が多々あるにも関わらず、それでも子供から離れられない
両親。その割に、個々にそれぞれの楽しみがあって遊んでいる割りには、
根本的なところで子供から目が離せない…。
これは病気である…。
両親はよく「親子の対話」という言葉を使う。
「家族一丸」とかいうのも好きだ。
でも、よくよく考えると、この魔法のような言葉は、戦時中の愛国心の
強要にも似ている気がする…。
と、こんな風に思う娘の私は、両親にとっては扱いずらい子供かもしれない。
とかく、感情論で突破しようとする2人に、それでも自分の主張を通す為には
やはり論が必要だと思ったのは、いつ頃からだろうか…?
感情に感情で勝負しても、1人対2人では勝負が見えている。
負ける戦は、背水の陣をしいて戦略が必要だ、そんな狡猾な戦法で勝ちを
治めたのはいつだったのだろう…?
両親に対して、腹を立てなくなったのはいつ頃からか…?
いあ、腹は立つ。立つが怒りという感情ではなく、気持ちを知らせるという
手段があることに気付いたのはいつ頃なんだろう…?
怒ったところで、停滞する関係ならば、いっそ、腹を割って話してしまった
ほうが、あるいは流せてしまう部分は流してしまったほうが、
さらには許せるのであれば、許してしまうことが対話のなせる技なのかな
と、氷川きよしのプロマイドを見ながらにやけている母を見て思ったこと
である。
勝ち負け…。
負けて勝つってことも時には必要。
負けて負けるってことも大事。
一気に勝ちにいくってのもアリの中で。
結果として、勝敗が見えるのは随分先のことなのかな~と思う今日この頃。
なんだか、まとまりのない日記である(汗)