昨日、自分をすり抜けていったモノがね。今日、また、わたしの処にやってきて。それは、自分の内側の置き場所がしっかり決まっていたかのように、ぴったりとはまってたりするので…。
自分が繊細になり過ぎているのか、たまたまの偶然なのか。と思ってみたりしながら。
それでも、多分。自分のところに来るべくして来てるからこそ、今、しっかりとこの手に在るってことの不思議を、ふんわりと感じているのでした。
花の盛りっていうのは。きっとね。
こんなコトを言うのだろなぁ~と思われる。大振の房にね。
これまた、一言で。
「雅」と表現する、日本語の奥深さって。美しいものを美しく伝えるための言語だよなぁ~と、感心し。
それこそ、それこそ、日本語の匠になりたいもんだ。と、思った昼下がりです。
この連休、最大のお楽しみはなんといっても本日の、「外ヨガ」に尽きるわけでして!
「雨だったら…。どうしよっかな。多分、中止…。にならないように祈っててください」というわけで、ずっとお天気予報を気にしては。
こんな場合、ナニにお願いして良いのか解らないのでね…。
「お願い、地球!」と、いつも抱きしめている地球にお願いをしていたのでした(笑)。
五感で感じる御日様の光やら、風やらね。お空を見上げると光臨がまんまるく輪っかをつくってたりと。在ることが当たり前でさ、感じることを怠ってる瑣末な日常を改めて感じつつ。
風がね。心地良く吹き抜けていくのね。「あぁ~、今、風に乗ったっ!」と思った瞬間に、それはもう後ろに流れていっちゃったり。些細な風にね。立っていられずバランスを崩してみたり。自分がね、心地良く感じるものなのにさ、そこでは自分軸がぶれるんだぁ~っていう不思議な実感やら(笑)。
とっても、単純な事柄ばかりなのだけども。ポーズと一緒に色んなことが頭を過ってはどっかに消えていっちゃうのが可笑しかったり。と。
五感をね。もっとフル活動させるために、もっともっと感覚を繊細にしてアンテナ張りたいと思うのですよねぇ。ってのはもの凄い欲で。一応、わたしは。そんな欲を手放したいなぁ~と思ってヨガを始めたわけですが。どぉ~も、まだ、全てを手放すという境地には達することが出来ません。って、一生、無理だからこそ、人は己の欲と戦って苦しむのでしょうねぇ…。
願わくば、綺麗に歳をとって生きたいけれど。でも、そこまで執着はないわたしは←って一体どっちなんだ…。日焼け止めが嫌いなもんでね。
わたし、たまたま色が白いから。昔からしっかり美白に力を入れてるように見られがちなのですが。結構、そんなのはどうでも良い性質なので(笑)。しっかりノースリーブにて(笑)。思う存分、紫外線を浴びつくし。この時季、1時間外に居ただけで随分と焼けるのねぇ~とばかり、初夏にはちと早いけれども。5月のお空に、グンと手を伸ばしたのでした。
なんだか、お家に帰るのが勿体無くてね。そのまま、丸の内に出掛け。丸善で欲しかった数冊を自分のものにして、今月、結婚する友人に結婚祝いなんかを買い。
プラプラとお外に出ると。丸の内なのにも関わらず?しっかりと緑タチが憩ってまして。都会の真ん中で今年初の新緑を愛でるのもどうかと思いつつも、意外や意外、しっくりスポットだったりしたもので。
良い気分でそのまま銀座のバカナルまで歩き、これまた、しっくりスポットで久々ランチを押頂いたのでした(笑)。
バカナルで。母に手紙を書いたのね。母の日には実家に帰ろうか…とも思ったんだけども。やっぱり、今のわたしには、足を運ぶことは躊躇われ。でもね、そんな躊躇がね、どんどん罪悪感を増していくわけですよ。「あぁ、わたし。やっぱり、良い娘じゃないなぁ~」と。
そんな思いを認めて。母の日に届くように日傘と一緒にクロネコさんに託したので。
ここ数週間、どうしよう?どうしよう?どうしよう?と、本気な強迫観念で自家中毒気味だった「お家」とか「母」とか「娘」っていう心のポジションが、かなりの勢いでデトックスされたのでした。まぁ、対処療法ではありますが…。
連休も残すところ、あと1日。わたし、もとのペースに戻れるのかしら?とかなり不安で、一昨日くらいからは変な夢を見ては寝汗をかいてガバッと起きてたりと、かなりの重症なんですけども。
なんだかね。今日、お外で色んなもんを感じたらば。そんな不安なんかこそ、どうでもよいもんで。そんな不安こそ、どっかに捨てちゃって良いもんなんだろなぁ~と感じたのですよねぇ。
多分、自分にとって拘る部分がね、あるからこそ。そこから発生する色んな思いがあるのだろうけれども。きっと、拘る部分が違うんだろねぇ…。負のスパイラルに巻かれてしまうと、その部分とか辺りが見えなくなっちゃって。だから、自分軸がぶれてる以前に。そこへの尺度は必要ないんだろうなぁ~なんてなことを思いました(笑)。
高校時代の友人がね、今月、入籍するそうで。それは、とっても御目出度い事柄なわけだけれども。ついに、未婚なのはわたしだけになってしまって。なんだか唐突に、超漠然と。これから寂しい人生を送るんだろうなぁ、わたし…。なんて思ったらば。
連休中だからこそ、ガックリきてしまいまして。ちょっぴり涙し、ちょっぴり憂鬱であります。
というのもですよ。特に連休だからといって、出掛けるわけでもなく。家のことっていったて独り暮らしでさ、しかも、散らかってるのが居てられない人なので、休みだからこそお部屋は整然としてるし。
趣味のヨガに毎日通う「ヨガ・サマディー」って、実はとっても幸せなことなのかもしれないけれど。自分に寄り添い過ぎててね、わたしの場合、自分との距離が近すぎるのよね、それは、距離をとる他者が居ないってだけの話でもあるんだけど。
とっても矛盾してるけれども、寂しいからといって誰かとお付き合いをするとか、はたまた結婚なんて大それた岐路には、とてつもなく立てずに居てて。なので、とにかく自分で食べていくことを考えると、気が遠くなるわけね。
でもね。ここで、これまたよく考えるとさ。わたしは自分のね、今のお仕事がしたいからこそ大学だって大学院にだって進学したわけで。そこにお給料が見合ってるのかっていう問いは、当初から無視してからこそある意味、半ば奉仕化してたり我慢強く居なきゃやってられない現実があるわけだけど。
こないだ、たまたまヨガの帰りに古い友人から電話がかかってきてね。近況報告なんかをしてみてさ。
「あいも変わらず、わが道を邁進しておりますね」
って一言が、ナンだか嫌味か憐みのように聞こえたのね。一時の、自分探し的な放蕩というか浪費というか、そんな時期はとうに過ぎて、今は進むというよりも、進めないから止まるしかないみたいな停滞期というかね。自分にはそんな風に感じられるのよね。
でも、やっぱり。周りの多くは。好きなことをやってきて、好きなことで生活して、好きな趣味をもって、それって幸せじゃないって言うわけで。
それは、ホントに幸せなのかもしれないけども。悲しいかな、そこに満足は出来ないのね。
で。ナニが言いたいのか解らなくなってきちゃったけども…。
人の幸せとか、満足ってさ。ある程度一定量の決まりがあるんじゃないかと思うのよね。どこで幸せを感じるかは、その人次第なんだろうけれども。その方向に向かう決定は、その時々、己の責任に於いてgoが出されるわけで。
で。どっちを選択したとしても、どっちにも失うものはあるはずで。どちらかに迷った時、ああしておけばよかったとか、あっちにしておけばよかったとか。やっぱり、失った時間や事柄に憂いたりすると思うわけ。でもね、現実として今をどうにか乗り越えなきゃいけないから、人間は前を見て歩き続けるのだと思うのだけれども。
そこを独りで歩くか、2人で歩くかは。これって、かなりの大幅な差異があると思うんだよねぇ…。
じゃ、お前、結婚しちまえっ!って言われても。それは、じゃ、そうしようとは簡単に言えない次第でね。だからこその、この自分の揺らぎは堂々巡りのね、自分の幸せ尺度に対する我侭だと自覚してたりさ。
きっとね。わたしって貪欲な人間だから。「究極、こう!」みたいな極みを自分にも課してて←意味不明なんだけど、でも、そんな感覚ってあると思うんだわ。独りで居ることを好んでいるからこそ、独りの生活にあれやこれやと好きなことを持ち込んで、益々、エンパワーされていくんだけども。逆に、2人になったら窮屈でね、1人用の生活スタイルで2人が生きられるわけがないのよね。
こんなことをブツブツと言ってるあたりで終わってまして(笑)。
だからこそ。だからこそ。わたしはね、皆を頼りにしてるのね!ホント、わたし、腹黒く、そして狡猾で、しかも他人には結構クールに接してて、決して性格良いとは言えないけれど。でもね、長いこと友達で居てくれる皆さんに、これからも末永くよろしくお願いしますと声を大にして言いたい!
というか、叫びたい!って思う深夜なのでした…。