めるつばうのおもうこと

めるつはミーム機械としてばうを目指します。

ソラリス

2005-10-23 19:47:04 | めるつばうのおもうこと
イーガンのことを考えていたら、別のところに書いて置いたソラリスに思い至った。

レム原作、タルコフスキーが映画化して、最近ソダーバーグもリメイクした。
が、なんといってもタルコフスキー。
一見すると地球外知的生命体との遭遇劇でもあるように見えるが
実際は内宇宙への旅である。

ハリー。自殺してしまった妻。それがソラリスの海によって
再生し主人公のクリスの前に顕れる。
クリスの”この妻は実在しない”と言う苦悩、その自殺の責任を
感じてしまう呵責。やがてソラリスの創造物たるハリーを認め始
める。その苦悩。

だが、それよりも私はハリー自身の存在矛盾に親近感を覚える。
私は何物か。クリスとの幸せな時間の記憶もある。しかしながら
自分はソラリスの産物であると認識し自分はハリーではないと感
じながら、それではハリーと今の自分はいったいどう違うのか。
あげく、自殺を試みても蘇ってしまう。それは人間ではないが、
しかし、人間的なのだ。
この感覚が私にはとても馴染む。私は何物なのか。存在理由の
欠如。存在の矛盾。
私がいつも抱えている感覚。
私は存在しているのか。
私は誰かの夢の一部ではないのか。
だから現実と思いこんでいるバーチャルな
世界が薄ら寒く感じるのではないか。

一つの答えとして、私の自我というのもが受動的であるという
回答につきあたったが、それが正しいのかどうかは解らない。
ただ外界を受像器官を通して見聞き、感じているだけの囚われの
脳というイメージ。
それでも、私がここにいないのではないかという疑問には
答えられない。

ソラリスの最後のシーンについてはいろいろ言われもしているが
私としてはあの故郷の家は自分の心の奥底を探ろうと糸を垂らし
ていって無意識も超え、そのもっと奥底を探っていると自分の
頭上から糸が垂れてきていた。そんな感覚を覚える。

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