散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

点描・小鎌倉2017.01.21(阿久和川)

2017年01月21日 | ☆横浜じゃん

阿久和川の源流は、相鉄線三ツ境駅南側・りそな銀行の下辺りといわれています。
そこへいくつかの流れが合わさって、柏尾川に流れ込み、
藤沢で境川に合流して、片瀬・江ノ島で相模湾にそそいでいます。
古地図(下図)で見ると「阿久和」の文字(赤い丸)が見え、
江戸時代、相模国鎌倉郡阿久和村があったことが分かります。
武相国境は分水嶺で、相模湾に入る川の流域が相模国です。

メタ坊の住んでいるところは「阿久和」の左上にある「宮沢」ですが、
お宮(神明社)の沢を流れる「和泉川」は、
地形の関係から、古地図(上図)の「上俣野」辺りで、
直接、境川に流れ込んでいます。

さて、三ツ境駅から阿久和川は暗渠になっていて、
長屋門プロムナードという名で、道が整備されています。
途中「まこと幼稚園」があります。

徳川吉宗時代、あの名奉行といわれた大岡忠相の血筋をひくという、
大岡さんが、幼稚園を経営しています。

当時は診療所も開業していて、
ご高齢でしたが、資産家にもかかわらず、温厚で、優しい女医先生でした。
メタ坊の子どもたちが小さかった頃、
よく面倒を見ていただき、
「土地の名士」といわれる人は、こういう人なんだと尊敬しました。
その関係からか、周辺には市営住宅がいろいろ建っています。

まこと幼稚園の後方にある市営三ツ境南住宅には、
富士山の見える小さな展望所があります。


ここから見える富士山と丹沢山地です。


こんな感じに見えます。


さて、この丘を登り切ると、
「長屋門公園」の裏手の入り口にたどり着きます。
そこには阿久和川の源流のひとつ(見出し写真)が整備されて残っています。
その小川の流れに沿っていくと、ため池があり、長屋門と旧宅が建っています。


大岡家長屋門(長屋門公園の正面入口)


旧宅(といっても、泉区の安西家旧宅を移築したもの)


「阿久和(あくわ)」という地名の由来は詳らかではありません。
「新編相模国風土記稿」に、
「江戸より行程十一里、永谷郷に属す、民戸百六十八」
「小名 神送塚 亀ヶ谷 八ッ塚 山王塚 鎌取谷 高塚 柳谷」とあります。
「横浜の町名」には、地名研究として、
新羅の古語で水を意味する「アカ」、
川の折れ曲がった様を意味する「アクワ」と説明があります。

阿久和村は、今の泉区新橋町から瀬谷区三ツ境にかけての地域で、
徳川家康が江戸入国後、
安藤治右衛門が知行し、新橋町にある「阿久和山観音寺」を開きました。

長屋門の手前に、北井家の大きな屋敷が建っています。
代々、安藤治右衛門の御用商人を務め、
明治のときには、製糸工場も経営していたそうです。


その北井家の菩提寺が「運上山観正寺」。
アシェンダ乗馬学校の隣接地にあり、観音寺末院のようです。


ちなみに、仏教用語で閼伽(あか)という言葉があり、
仏前などに供養される水のことをいうそうです。

本当に「阿久和」には、どんな意味があるんでしょう?


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