散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

天地人5~雪国の心遣い

2009年07月23日 | ★メタ坊タウン情報
イケメンだったという上杉三郎景虎(小田原・北条氏との同盟による人質)が、上杉謙信亡き後、上杉景勝との跡目争いに敗れ、自刃した鮫ヶ尾城に立ち寄った。天地人ブームに湧く上越市ではなく、妙高市に位置するせいか訪れる人は少ない。斐太神社の脇にある駐車場に車を止め、史跡公園として整備された道を5分ほど登ると、説明看板と総合案内所の建物に着く。ここを起点に上信越自動車道を跨ぐ尾根道を20分ほど歩くと、景虎が立てこもった山城の本丸に至る。しきりに案内所の方が登山を勧めるのだが、案内所から見える本丸の位置と夏の暑さに思わず辞退した。すると、テーブルの上に置かれたポットを指さし、漬け物とお茶を勧める。実に雪国らしいおもてなしをしてくれる。帰りがけには「今度来たときにはぜひ本丸まで登ってくださいね」と残念がられた。案内所のある一帯は古代の住居跡で、それを挟むように古墳群がある。斐太神社は延喜式にも名がある古社だ。頸城平野一帯を支配した王墓と位置づけている。大和朝廷が王位継承を争ったとき、継体天皇が即位した。その継体天皇は確か「越の国」から迎えたと記録に残っていたと思う。その点、斐太の里は一過性のブームで立ち寄る場所ではないといってもいい。でも、景虎の供養塔がある勝福寺もうっかり通り過ぎてしまうほど案内が見あたらないのは残念だ。
それにしても、高田城では自前で製作したと思われる蓮の実を使った小さな幟旗みたいなものをもらったし、天地人博上越会場ではミニイベントで「ケンケンズ」のストラップ、また魚沼会場では1合のコシヒカリが配られた。小さなことだけど、その心遣いが越後人の心情をあらわしているのだろう。

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