大人目線、子ども目線・・・
今さらに思えば、子どもが小さな時に、大人目線で子どもの行動を見ていたことがあったために、子どもが妙に冷めた態度を見せることがあったような気がする。
もうすぐ来る七夕の笹に下げられた短冊には、願い事が書かれている。
左のものには、「にんじゃになれますように」
右のものには、「おいしゃさんになって、あいすくりむやさんになりたい」
とある。
これを、“なれるかもしれない”と考えるのが、子ども目線で、“なれっこない”、“無理だろう”と考えるのが、大人目線だ。
そして、その短冊に書くことさえ許さないほど、余裕のない親もいる。
待機児童の問題は、女性が社会進出して、働く女性が多くなったことだといい、男女が協同で社会に参加しているのだという。
しかし、それほど人は働きたいと思う動物なのだろうか?
本音は、働かないでも、のんびり、何不自由なく暮らせればいいと思っている人がほとんどだと思う。
例え、もし、夫婦のうち、一方の収入だけでも十分に暮らせるのなら、共働きなどしたくはないはずだ。
男女協同とは、低賃金の労働人口を作り出すためのシステムにほかならない。
そのために、余裕のない大人が増えて、無機質な子どもが育てられてしまう。
「にんじゃ」にもなれる日本の世の中であって欲しいと思うのは、ちょっと変かなぁ?
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