散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

横浜開港資料館・宣教医ヘボン展

2013年12月23日 | ☆横浜じゃん

ヘボンは、ヘップバーンの名を日本人が聞き取って表記した。
ヘップバーン家は、13世紀まで系譜を遡ることができるスコットランドの名家。
18世紀初めに宗教的迫害を受けアイルランドに移り、その後アメリカへと移住する。
映画「ローマの休日」で有名な、オードリー・ヘップバーンもその一族で、日本へ来たらオードリー・ヘボン・・・う~む、無理がある。


ヘボンが当初滞在した神奈川宿の御用留に「ヘボン」と書かれているというし、日本初の和英辞典「和英語林集成」を編纂するにあたって多くの日本人から語彙を聞き取る際、名乗るにあたって、日本人にわかりやすい発音で話しかけたに違いない。
のちには「平凡」ではなく「平文」と漢字で表記するのも、ヘボン式ローマ字表記を考え出したヘボンらしい文字の選び方だ。
そんな、ヘボンの展示会は、12月27日まで。
資料館の旧英国領事館の領事執務室が特別に公開されて、ヘボンが創設した明治学院大学の展示もある。
77歳で帰国するまで、日本に33年間滞在したヘボンの功績は計り知れない。
来日したのは、幕末、開港して間もない1859(安政6)年、医療を通じたキリスト教の普及を図る宣教医としてだった。
それに先立って派遣された中国で、教えてもらった初めての日本語「これは何ですか?」を、来日してから、人に会うたびに乱発し、貪欲に日本語を記録していった。
次に覚えたのが「あぶない」「こら」「しかたがない」だそうです。


来日して8年後の1867(慶應3)年に、2万語余を収録した和英語林集成を発行する。
日本語訳の新約聖書は1880(明治13)年、旧約聖書は1887(明治20)年に発行され、1955(昭和30)年に日本人による口語訳聖書ができるまで使われた。
帰国後の1905(明治38)年、90歳の誕生日に日本政府から勲三等旭日章が授与されている。

帰り道、まず横浜港を遠望。(下の写真をクリック)


横浜公園・日本庭園の紅葉もまだまだ名残をとどめている。


日本大通りのいつもの場所からの眺めは、1本だけイチョウが葉を落とさずにがんばっていた。



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