散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

横浜経済文化事典で「伝染病」を調べてみた。その2

2020年02月22日 | ★集メタ坊屋敷ごみ

伝染病にもいろいろあるけれど、コレラとペストについての記述はこうです。

「コレラ病」
明治10年9月から11月にかけて横浜市内にコレラ病が流行、
居留地茶再製場の工員が発病、小学校が休校するさわぎで、
1,128名の患者を出し、635名が死亡した。
当時の朝暘新聞には「昨今しきりと激しきは翁町・松影町辺にて、
同所の警察所へ届出る者陸続としてたえまなく、
戸部・平沼辺の利口連は不動などへゴマをたき、
赤紙へ牛という字を三つかいて門へ貼り出すもあれば、
八つ手の葉を下るもある」と迷信ぶりが記されている。
ついで、12・15・19・23・24年に発生、
23年はことにひどく686名の患者のうち559名が死亡した。
開港場だけに新しい病気は横浜から起こり、全国に伝わる訳で、
23年には流行性感冒インフルエンザもはじめて市中に侵入、猛威をふるった。
コレラはその後、28・35年に流行、
以後防疫の発達により昭和2年に発生したにすぎない。
「ペスト病」
伝染病のうちでもっとも恐ろしいペストは、
明治29年、横浜にはじめてもたらされた。
もちろん、これが我が国に輸入されたはじめである。
横浜入港のイギリス船ゲーリッグ号に乗船していた
広東人李享がペスト病で死亡し、
このため市内では消毒法を施行し、
入港船舶に対しきびしい検疫を行った。
ついで35・36・40・42・43年とおき、
大正に入って2・15年に発生している。
35年より42年にいたる8年間の流行を総括すれば
年度 流行日数 患者 死亡 死亡率
35年   30  7  5 71%
36年  195 49 41 83%
40年   82 19 18 94%
42年   72 28 22 78%
となる。

現在のように、気軽に航空機で渡航できるようになる以前は、
島国日本へ、海外から来る人や物は船舶を利用しました。

出入国手続きの総称を「CIQ」といいます。
税関(Customs)・出入国管理(Immigration)・検疫(Quarantine)の略称のこと。
ここで着目したいのは、その順番です。
所管省でいうと、財務省・法務省・厚生労働省となります。
それに対して、国民を守るために重要な作業手順は「Q・I・C」となります。
検疫をすり抜けてしまった病原が、
人から人へ感染してしまうものであれば、
検疫のほかに、国内に入り込んだものを根絶する作業が必要となり、
できうる限り隔離して、病原を封じ込めなければなりません。
『官邸主導』を標榜しながら、責任問題になることは現場まかせ・・・
いつか見た悪夢が再来した気がします。

長い間、日本の玄関口だった横浜港には、
そのノウハウが蓄積されていたはずです。


見出し写真は、初代横浜市庁舎。


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