伝染病にもいろいろあるけれど、コレラとペストについての記述はこうです。
「コレラ病」
明治10年9月から11月にかけて横浜市内にコレラ病が流行、
居留地茶再製場の工員が発病、小学校が休校するさわぎで、
1,128名の患者を出し、635名が死亡した。
当時の朝暘新聞には「昨今しきりと激しきは翁町・松影町辺にて、
同所の警察所へ届出る者陸続としてたえまなく、
戸部・平沼辺の利口連は不動などへゴマをたき、
赤紙へ牛という字を三つかいて門へ貼り出すもあれば、
八つ手の葉を下るもある」と迷信ぶりが記されている。
ついで、12・15・19・23・24年に発生、
23年はことにひどく686名の患者のうち559名が死亡した。
開港場だけに新しい病気は横浜から起こり、全国に伝わる訳で、
23年には流行性感冒インフルエンザもはじめて市中に侵入、猛威をふるった。
コレラはその後、28・35年に流行、
以後防疫の発達により昭和2年に発生したにすぎない。
「ペスト病」
伝染病のうちでもっとも恐ろしいペストは、
明治29年、横浜にはじめてもたらされた。
もちろん、これが我が国に輸入されたはじめである。
横浜入港のイギリス船ゲーリッグ号に乗船していた
広東人李享がペスト病で死亡し、
このため市内では消毒法を施行し、
入港船舶に対しきびしい検疫を行った。
ついで35・36・40・42・43年とおき、
大正に入って2・15年に発生している。
35年より42年にいたる8年間の流行を総括すれば
年度 流行日数 患者 死亡 死亡率
35年 30 7 5 71%
36年 195 49 41 83%
40年 82 19 18 94%
42年 72 28 22 78%
となる。
現在のように、気軽に航空機で渡航できるようになる以前は、
島国日本へ、海外から来る人や物は船舶を利用しました。
出入国手続きの総称を「CIQ」といいます。
税関(Customs)・出入国管理(Immigration)・検疫(Quarantine)の略称のこと。
ここで着目したいのは、その順番です。
所管省でいうと、財務省・法務省・厚生労働省となります。
それに対して、国民を守るために重要な作業手順は「Q・I・C」となります。
検疫をすり抜けてしまった病原が、
人から人へ感染してしまうものであれば、
検疫のほかに、国内に入り込んだものを根絶する作業が必要となり、
できうる限り隔離して、病原を封じ込めなければなりません。
『官邸主導』を標榜しながら、責任問題になることは現場まかせ・・・
いつか見た悪夢が再来した気がします。
長い間、日本の玄関口だった横浜港には、
そのノウハウが蓄積されていたはずです。
見出し写真は、初代横浜市庁舎。
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