散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

60代のことばたち「江戸の町は骨だらけ」

2022年01月25日 | ★集メタ坊屋敷ごみ

鈴木 理生 著/桜桃書房・62ページ目
そこは「処刑された者、病死した者の捨て場」だったために、「骸骨充ち充ちていた」ため地獄谷と呼ばれていたが、世の治まるにつれて樹木谷(じゅもくだに・千代田区二番町付近)と呼ばれるようになったという。同じような話は、さらに山の手の麻布などにもある。
繰り返すが江戸では「人捨て場」には小河川の谷筋(谷地田(やちだ)=谷戸田(やつだ)などの小規模の水田にもならない場所)の利用が主流だったのである。
もう一つの「人捨て場」は、臨海都市でもあった江戸の海岸・その近くの湿地などで、その埋め立て材料として人の死骸が利用されている。
*****
本の帯の内容紹介には、
「骨」から読む江戸・東京の歴史、地理、民俗、宗教。
”粉骨砕身”---!! 都市史研究の第一人者が人骨の発見状況、寺院・神社の分布などをふまえ、臨海都市の地下に封印された「ナニカ」を掘り起こす注目作。
「まさかこんなところが墓地だったとは」
「人捨て場」と一体だった寺院の頻繁な移動の実態は、ウワモノだけの移転で済まされた。
この本の主題である東京の地下の骨は、そうした「人捨て場」に埋葬されたまま、そこに放置されていたものなのである。
と記述されています。
*****
All About 20thの「土地の過去が分かる?昔の「地目」の調べ方」という記事の中に、現在の地目として、
田、畑、宅地、学校用地、鉄道用地、塩田、鉱泉地、池沼、山林、牧場、原野、墓地、境内地、運河用地、水道用地、用悪水路、ため池、堤、井溝、保安林、公衆用道路、公園、雑種地の23種類となっています。
古い地目として、
旧土地台帳に表れる主な地目を列挙すると次のようになります。
【現在と共通する地目】
田、畑、宅地、鉄道用地、塩田、鉱泉地、池沼、山林、牧場、原野、運河用地、用悪水路、井溝、保安林、公衆用道路、雑種地
【現在とほぼ共通する地目】 ( )内は現在の地目
学校敷地(学校用地)、墳墓地(墓地)、溜池(ため池)、溝渠(用悪水路)、堤塘(堤)、砂防地(山林、原野など)、道路(公衆用道路)
【現在は使われていない地目】
郡村宅地、市街宅地、大蔵省用地、官有地、府県社地、郷村社地、招魂社地、野地、軌道用地、水面埋立地、土揚敷、稲干場、荒蕪地、荒地、死獣捨て場、監獄用地、行刑場(処刑場)など
なお、公用地については建物などの用途に応じて「町村役場敷地」「公立学校用地」「○○試験場用地」などのように記載されています。
と解説がありました。
大災害があるたびに、古い地名のことがやり玉にあがりますが、地目も気にしていると住むところがなくなってしまうような気がします。

>>>「100ページ目のことばたち」由来


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2 コメント

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へえ~ (酔華)
2022-01-26 10:48:56
死獣捨て場、監獄用地、行刑場…こんな地目があったんですねぇ。
いつだったか伊勢佐木町で人骨がたくさん出てきたというニュースがありましたが、
あれはなんだったんでしょうか。
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吉田新田 (メタ坊)
2022-01-26 14:01:20
明治3年の地図には、
港崎遊郭の大火(いわゆる豚屋火事)で、
遊郭が関外へ移転し、
その北側に「寺」と「墓」と表記があり、
常清寺がありました。
墓地を移転する際、
改装したと記録に残っているそうですが、
身売り、人捨てが常識だった当時、
掘り起こしてまではいかない訳で、
江戸のやり方=横浜築港まちづくり
とみれば腑に落ちると
S女史から教わりました。
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