散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

バタークリームはご馳走の味

2008年02月23日 | ☆撮!本日の逸品
妻は東京生まれの東京育ち。それも飛行機が怖いとなれば、その場所もエリアが絞られる。子どものころの話しになると、かならず銭湯の帰りに屋台のおでんを食べるのを楽しみにしていたが、あるとき食あたりになって死にそうになったとか、クリスマスに食べるバタークリームのデコレーションケーキがご馳走だったとかという。私は横須賀生まれの横須賀(ときどき南房総)育ちで、母が結核をよく患ったせいか、自宅に風呂があったので銭湯経験は皆無に等しい。おまけに7歳違いの兄が冷蔵庫のない時代、食べ残しのスイカで下痢を起こし、その赤い便を血便と間違われ、赤痢患者として隔離病院行きになったとき、赤痢で死ぬとばかり早合点した父が兄を元気づけるため、何が欲しいと兄に聞き、「テレビ」と答えたせいで、私にものごころがつくころには自宅にテレビがあった。力道山のプロレスはもちろん、ナショナルキッドや隠密剣士、マリンコングなど数え上げたらきりがない。幼稚園がすぐ隣だったから、黒柳徹子がMCだったNHKのブーフーウーを見てから家を飛び出しても間に合った。ご馳走といえば、父が会社勤めをしながら畑を耕していたので、普段は野菜中心の食生活だったから、学校給食が大のご馳走で脱脂粉乳は飲めない子の分までガブ飲みした。当然、鯨のベーコン入りのクリームシチューや鯨の竜田揚げも一手に引き受けた。母が自宅にいる場合は、1日5円の小遣いをもらい、駄菓子屋で買い食いした。やはり、クリスマスのバタークリームケーキはご馳走だったが、幼稚園のころから一人で行っていた、夏冬春休みの南房総の母の実家行きに際し、浦賀の渡船場まで見送りに来た母が船中で食べさせるために持たせてくれる不二家のシュークリーム1個にはさまざまな想い出がある。
我が家ではそのために、クリスマスや誕生日に生クリームのケーキのほかに、わざわざバタークリームのケーキを特注して食べる習慣がある。今は生クリーム主流の時代だから、バタークリームといってもフレッシュでスポンジも柔らかい。すると、邪道だといって、買う店を替える。
苦節ン年。ついに、あの懐かしいバタークリームケーキを発見した。おまけにクリスマスシーズンでもデコレーションはバタークリームを主力商品にしている店なのだ。それに買い方が難しい。定価二千百円で売り出すのだけれど、すぐに買ってしまうと、クリームもスポンジも柔らかい。それが3、4日経過してくると千六百円の値引き札が下がる。それを2日ほど見守ってから買って食べると、クリームの堅さといい、スポンジのカラカラガサガサ感が丁度良く、フォークに刺ささらないスプーンですくい取る感じで、あの昭和40年代にタイムスリップできる。ときどきデコレーションケーキが売れていると、バタークリームとは知らずに買ってしまい家族から非難されているのか、あの懐かしい味に思い出話を語る夫婦がいるのか、鶴ケ峰駅前のこの店を通るたびに思ってしまう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 月と高層マンション | トップ | 春一番に焼き肉 »

コメントを投稿

☆撮!本日の逸品」カテゴリの最新記事