散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

千葉大多喜・城下町

2008年07月15日 | ☆千葉県
千葉県夷隅郡大多喜町は、徳川家康江戸入府に際し、本多忠勝が初代藩主となった城下町だ。本多忠勝といえば、三方ヶ原の戦いの折、武田方の小杉左近から「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」と落書をもって賞賛されたことでも知られ、五十数回に及ぶ合戦に参加して、一度も傷を負うことが無かったので、徳川四天王、徳川三傑に数えられているほど。ここ大多喜に城を築き、安房里見家の動きを牽制した。大多喜城は、16世紀前半頃、武田氏が入城したといわれ、天文の頃には里見家の重臣正木氏が入っていた。本多氏は3代まで。
4階建ての鉄筋コンクリートの城は、千葉県立中央博物館の分館となっており、資料が展示されている。城下街道沿いは街並み整備により、それらしい町家造りの店などがある。和菓子屋や造り酒屋で「昔から商っているんですか?」と聞くと「城ができるより古くからやっている」と答えが返ってくる。よくよく聞いていると城が復元された昭和50年のことを言っている店もある。「うちは16代続いているよ」と答えた店もあったから、「何代続いている店ですか?」と聞くのが正しい問いかけのようだ。今度は少し涼しくなってから出かけてみよう。

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2 コメント

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聞いてみないと (酔華)
2008-07-18 21:19:58
城ができる前というのが、昭和50年以前だという話、よくありますよね。
こないだの戦争というのが、会津では戊辰戦争のことだったり、京都では応仁の乱だったりとか。
よくよく聞いてみないと分かりません。
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義経のダチ (管理人)
2008-07-19 20:16:15
衣川で死んだはずの源義経が、実は生き延びてエゾへ逃げ、モンゴルに渡ってジンギスカンになったという義経北行伝説を求めて大船渡から遠野へ行く途中、義経が通ったとされるところで、通りかかったお婆さんに道筋を確かめたら「ああ、義経のヤツか、あれはこの道をまっすぐ行って、あの十字路を右に曲がって、あそこに見える大杉のところを左に折れて、正面に見える山のすそを左から右上の方に上がり、山と山の間の峠を越えて向こうの村へ行った」と昨日見かけたかのようにいっていました。
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