千葉県夷隅郡大多喜町は、徳川家康江戸入府に際し、本多忠勝が初代藩主となった城下町だ。本多忠勝といえば、三方ヶ原の戦いの折、武田方の小杉左近から「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」と落書をもって賞賛されたことでも知られ、五十数回に及ぶ合戦に参加して、一度も傷を負うことが無かったので、徳川四天王、徳川三傑に数えられているほど。ここ大多喜に城を築き、安房里見家の動きを牽制した。大多喜城は、16世紀前半頃、武田氏が入城したといわれ、天文の頃には里見家の重臣正木氏が入っていた。本多氏は3代まで。
4階建ての鉄筋コンクリートの城は、千葉県立中央博物館の分館となっており、資料が展示されている。城下街道沿いは街並み整備により、それらしい町家造りの店などがある。和菓子屋や造り酒屋で「昔から商っているんですか?」と聞くと「城ができるより古くからやっている」と答えが返ってくる。よくよく聞いていると城が復元された昭和50年のことを言っている店もある。「うちは16代続いているよ」と答えた店もあったから、「何代続いている店ですか?」と聞くのが正しい問いかけのようだ。今度は少し涼しくなってから出かけてみよう。
4階建ての鉄筋コンクリートの城は、千葉県立中央博物館の分館となっており、資料が展示されている。城下街道沿いは街並み整備により、それらしい町家造りの店などがある。和菓子屋や造り酒屋で「昔から商っているんですか?」と聞くと「城ができるより古くからやっている」と答えが返ってくる。よくよく聞いていると城が復元された昭和50年のことを言っている店もある。「うちは16代続いているよ」と答えた店もあったから、「何代続いている店ですか?」と聞くのが正しい問いかけのようだ。今度は少し涼しくなってから出かけてみよう。
こないだの戦争というのが、会津では戊辰戦争のことだったり、京都では応仁の乱だったりとか。
よくよく聞いてみないと分かりません。