散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

#家にいよう 映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」

2020年05月04日 | ★メタ坊徒然草

みどりの日って、もともと4月29日でした。

無料動画サービスのGYAO!で、山本五十六の映画(ここをクリック!)を観ているうちに、
ふと、5月4日は「みどりの日」って、いつからなの?と疑問に思いました。
ちなみに、映画の配信は、5月11日(月) 23:59までです。

さて、「みどりの日」ができたのは昭和64年のこと。
もともと4月29日は昭和天皇の「天皇誕生日」として祝日だったのですが、
昭和天皇崩御に伴い祝日の理由がなくなり、
これまでゴールデンウィークの一翼を担っていた祝日であったことから、
「みどりの日」という名称に変えて存続することになりました。
その約20年後の平成19年に、
「激動の昭和を顧み、国の将来を思う」という趣旨で、
「みどりの日」を5月4日に移し、4月29日を「昭和の日」と定めました。

では『激動の昭和』とは、いったい何なのか?
映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」には、
日本帝国海軍の、いわゆる現場最高責任者となった山本五十六の、
行動と言動によって、日本の世相が描かれます。
昭和恐慌のあと、儲かる戦争を待ち望む民衆の世論と、
販売部数の獲得のために世論に追従・扇動するマスコミ、
そして世論に迎合かつ利用して、
名声と利権を我が物にしようとする軍人官僚や権力者により、
ついには廃墟・灰燼の日本を出現させてしまいます。

「俺が死ぬことで国民が目覚めてくれれば、それでいい」

しかし、山本五十六の搭乗する一式陸攻が撃墜されたときには、
すでに制海権を失い、制空権もまた瀕死の状態となっていました。
「米国に勝利して、外交で講和を勝ち取る」
・・・山本は本当にそう信じていたのでしょうか?
ぜひ、ご覧になって、激動の昭和を感じていただければと思います。

ところで、旗艦となっていた「戦艦・長門(見出し写真)」は、
終戦時、横須賀港に中破状態で生き残っていました。
米軍の接収を受け、ビキニ環礁で原爆実験の標的艦となり、沈没しました。


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