散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

横浜美術館・ポンペイ展

2010年03月31日 | ☆横浜じゃん
金平糖じゃない、ポンペイ展。
「おやじギャグは、おやじの特権だ」と、息子にあきれ顔をされても、言い続けるところにおやじの偉大さがある。
すると息子が「ポンペイと、ボンベイの違いは何?」と訊いてきた。
「イタリアとインドの違い」と答えると、
簡単な質問をしてしまったという顔をした。

天候が悪いにもかかわらず、結構な人出だ。
前の人に続いて見て歩く、音声ガイドなんかいらないと豪語した息子のために、小さなキャプションと、その都度にらめっこしなくてはならず、かなり難儀した。
まず、石膏の人型が置かれている。
ご存知のように、イタリアのポンペイは、ローマ帝政の西暦79年、南部カンパニア地方にそびえるヴェスヴィオ火山が大噴火したことにより、一昼夜にして灰の下に埋もれた。
これと似たようなものとして、長崎県の雲仙普賢岳による火砕流被害が思い出される。
また、江戸時代天明の頃、長野群馬県境・浅間山の噴火で、土石流が発生し、鎌原村が飲み込まれたことや、広島県福山市の草戸千軒町遺跡などもチェックしておきたい。
当時の姿を残したまま、およそ1700年の眠りののち、18世紀になって発掘されたポンペイの街並み。
その年代を経ても、今と変わらないもの、まったく変わったものなどがあることに驚かされる。
市民と奴隷という身分の差、資産家とそうでない者など、主に貴族や資産家といわれた人の邸宅から出土した品々からいろいろな事が読みとれる。
個人的に一番興味がひかれたのは、大理石で造られた彫像で、等身大の台座の上に、依頼主の頭が精巧に造られている。
そして、その腰の辺りに、それまた精巧にポコチンとタマタマが掘り出されていること。
壁画の中にもそのような絵があったりすることから、当時の性に対する大らかさや、子孫繁栄を誇示することがシンボライズされていることのようだ。
帝国が版図を拡げ、植民地が増えるのに併せて奴隷も増え、ありとあらゆることに奴隷を使役して、市民が退廃と怠惰な生活を送るようになる。
いつの世も、働かずに楽して暮らしたいと思うのは、人の常なんだな。

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