散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

東京浅草散歩1・浜離宮恩賜庭園

2009年06月20日 | ★メタ坊タウン情報
新橋駅から歩くこと10分。シオサイトの高層ビル群の下を通り抜け、どんよりした海の香り立つ堀の橋を渡ると、浜離宮の入口だ。徳川将軍家の鷹狩場に、1654年四代将軍家綱の弟・甲府宰相松平綱重が、海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ぶ別邸を建てたのがはじまり。綱重の子・綱豊が六代将軍家宣となって将軍家の別邸とされた。江戸城の出城として、歴代将軍により造園・改修が繰り返され、十一代家斉の頃には現在の姿の庭園が完成された。大阪にいた将軍慶喜が鳥羽伏見の戦いの劣勢を知り、海路江戸へ逃げ帰った際に上陸したのも、ここ。明治維新後は、皇室の離宮となり、戦後東京都に下賜されて整備され一般公開されるようになった。近くを通ることがあっても入ったことがなかったので、思いのほか広いことに驚いた。海水を引き込んで造られた池にはたくさんの魚の稚魚や、海鵜、カルガモなどの様々な鳥たちを見ることができる。惜しむらくは、庭園を睥睨するように回りを取り囲む高層ビル群。まだまだ建設中の建物や予定の土地があるのは、東京都の無計画さが露呈している。浜離宮の景観を売りにビルを建てるのであるから、庭園の側から見たときに、洗練され統一された外観と色彩でコントロールすべきだと思う。このような文化の無さで日本らしいオリンピック開催を売りにした招致とは理屈に合わない。
「江戸百」で知られる初代・安藤広重の最後の作品とされる「名所江戸百景」が1856(安政3)年2月に売り出された。ゴッホをジャポニズムに傾注させた浮世絵とされる。初回5枚組の1は「芝うらの風景」である。その絵の遠景に浜御庭(浜御殿・浜離宮)の石垣が描かれており、絵の中の石垣は、幾重にも連なっているが、実際訪れてみると直線の石垣が続いていた。一説には、前年の安政大地震で壊滅的な打撃(関東大震災級といわれる)を受け、灰燼と化した江戸の町が復興し、浜御庭の崩れた石垣も修復されるに及び、2月2日に将軍家定のお成りがあった。このニュースをメッセージとして発信したのではないかという。実際、政治向きのことを書いただけでもお咎めを受けた時代のことだから面白い。
また「天保雑記」という史料には、1835(天保6)年、将軍家斉の船が浜御庭に着こうとしたとき、縄で縛られた男女の死体が急に浮かんだ。「そのことを言ってしまうと、いろいろ差し支えがあるから、見て見ぬふりをした」と奥向きに漏らし「汐入は何が出るかもしれない」と記録があるとか。当時、町人地の堀割などで見つけた水死体のみ届け出るものとされ、ほとんど見て見ぬふりをすべきものだったらしく、浮死体は江戸では当たり前だったらしい。将軍の利用する汐入(浜御殿)のみ例外で、流れ来た場合は一度突き返し、それでも流れないか流れ着いたときは御目付へ届け出なければならなかった。
よく時代劇に「簀巻きにして放り込んでしまえ」というのも、流れてしまえば罪に問われなかったからで、銭形平次や半七が水死体の犯人捜しするなんてことはほとんど無かった。逆に自分の取り締まるべき町の中の犯罪者を捕らえて川へ放り込んだに違いない。自分の町から縄付きを出せば自分の立場が危うくなった時代だもの。
だいぶ話が逸れた。とにかく、今度はお弁当と水筒を持って、のんびり過ごしたい浜離宮だった。そうそう、ここからお台場や浅草行きの水上バスが発着してるのも要チェックしてから出かけてみよう。

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2 コメント

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 (酔華)
2009-06-24 08:19:40
むかしは横浜から日の出桟橋、浜離宮を経由して浅草まで行く船が出ていましたよね。
1回乗っただけで廃止になってしまい、残念に思ったものです。
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東京vs横浜 (管理人)
2009-06-25 00:04:26
いつもの持論ですが、
首都東京は、憧れて地方から来た人が数年住み、そして離れていく傾向があり、人口は絶えず流動的です。だから、ハードでもソフトでも、そのまま有り続ければ一定の動員数が見込めます。
それに対して、横浜は東京のセカンド都市ですから、家賃が東京並みだと流動人口はほとんど東京に取られ、東京にあるものに似たハードやソフトを出せばまったく動員は見込めません。そして、物見高い横浜市民も最初と最後に関心が強い傾向があるので、最初に動員数が伸びないものは最後まで伸びません。
横浜港で運行するどの船も、一度乗ったら二度乗らないから経営・採算も難しい訳です。
その意味で、日々変化する中華街はワンダーランド。そして、プロポーズが似合う街=ヨコハマらしく、定番デートスポットだけは内外から訪れるカップルが入れ替わり立ち替わりするのです。カップルだけは日々新たに生まれる唯一無二の存在ですもの。同じデートスポットでも、東京は今を楽しむ場所で、横浜は永遠を誓う場所として、使い分けられていると私は考えています。
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