
大変、ご無沙汰しています。
来たる65歳の完全年金生活に向けて、
着々と準備を進めている?ところです。
年齢的な要因のせいなのか、
公私ともにいろいろな事案に直面し、
ブログの更新もままならないことをご容赦ください。
昭和49年のオイルショックのあおりで、
のんびり大学浪人しながらボチボチと
どこかの大学で「モラトリアム人間」になろうという気分が吹き飛び、
あわてて1年遅れて高卒就職したのが、昭和50年。
以来、よき先輩方のアドバイスもあって、
26歳で結婚、29歳で第1子を設け、
37歳で家を持ちました。
60歳で定年退職となるのですが、
やはり年金生活を送る先輩から、
「1年遅れで高い住民税が押し寄せてくるので、
早めに倹約を心がける準備をしたほうが懸命だよ」
と教えられました。
それを真摯に受け止め、
定年後2年間務めたところを辞めて、
諸控除後の手取り12万円の再就職先を
自宅近くにやっと見つけて、
現在に至っています。
少ないより多い方がいいと頑張った先輩の中には、
気遣いによる心労なのか、
在職中に癌や心筋梗塞を患ったり、65歳で離職後亡くなったりと、
「定年後、フリーになったら、ホニャララするんだ!」
と意気込んでいたものの、
病院のベッドから空を見上げるか、
天国から右往左往する後輩を眺めている方もいらっしゃいます。
とにかく、
徐々に減収しながら年金生活に移行しようと決め、
あと3年間で倹約生活を身につけ、
「主人在宅ストレス症候群(夫源病)」を回避するためにも、
地域デビューの手がかり足がかりを見つけようと、
仕事と並列的に行動を開始しはじめたところです。
「ホニャララすれば、夢は叶う!というのは、若いうちだけだよ」
といった先輩のつぶやきも、
この年になって真から理解できました。
この忠告を受けた当時(今から20年前)、
「定年後は、旅行してホテル旅館を泊まり歩き、
美味いものを食べ、客船クルーズをする」
という夢を持っていました。
これまた忠告に従い、定年を待たずに夢の前倒しをしようと、
「西郷隆盛は、子孫に美田を残すなかれ、と言っている」
と宣言して、貯金を取り崩し、カミさんを説得して実行に移しました。
見出し写真は、初代の客船・飛鳥の北海道クルーズに乗船、
客室から眺めた利尻島です。
それもカシオ製のデジタルカメラで撮ったもの。
無理やりフォトショで解像度を拡大しているのでモヤっとしています。
今後は、第2の人生として、
「地域デビュー」と「まち歩き」を中心に
ブログ書きすることが多くなると思いますが、
温かい目で見守っていただけるとありがたいです。
休みの日に家にいると、
カミさんがせっせと食事やお茶の支度をしてくれます。
感謝をする一方、
立場を変えて考えてみると、
とんでもなく面倒だと思えます。
今は亡き義父が日がな一日、
庭の植木や盆栽をパチパチして、
結局、丸裸のようにして枯らしては、
また新しい鉢植えを買ってくるということを繰り返していました。
人づきあいがヘタな人でしたから、
そうするしかなかったんでしょうね。