- 山口県防府生まれの「漂泊の俳人」山頭火は
信州にも数回、足を伸ばしている。
流転のその日暮らしは水しか飲めず、
でも水味ならばわかるから「水飲み俳人」と呼ばれた。
晩年は水音だけで味や香りまで利けたという。
- 今日、季節外れの積雪もとけた美麻から→
三田に帰る道すがら、山頭火の足跡をたどり
長野県伊那市→伊那市洋菓子店清水さん→
長野県下伊那郡清内路村→妻籠宿→
中津川へと抜けた
- 『飲みたい水が音をたててゐた』昭和9年4月
伊那の乞食俳人井上井月(けいげつ)の墓参りを
果たすため南木曽から飯田へと標高1200メートルの
清内路峠を越えた。
今は車で且つトンネル開通で安易だが、
当時は歩き慣れた山頭火でさえも難所であったろう。
冷え込み、大汗をかき、
『飲みたい水が音をたててゐた』
今は食料品店になった「長田屋」にその夜の宿をとった。
清流孫六沢のせせらぎ沿いで詠む。
『おだやかに水音も暮れてヨサコイヨサコイ』
『死ぬるばかりの水は白う流れる』
『山しづかなれば笠をぬぐ』
飯田に着くなり急性肺炎で入院を余儀なくされる。
- 『あの水この水の天竜となる水音』昭和14年
5年後、念願の井上井月
(生まれは越後?没年明治20年この地で絶えた)の
墓参を果たす。
井月は芥川龍之介が『入神と称するも妨げない』と
書を評した、
さすらいの俳人井上も無類の酒好きで、
著書を通じて山頭火が共感したのか?
伊那市みすずの墓前に手厚く花を手向け、
酒を注いだという。
今日も桜で名高い高遠の出前、わっぱらの墓には
地酒仙釀が供えてあった。
井月の墓から東へ100メートルあまり、
残雪の南アルプス仙丈ヶ岳と中央アルプス駒ヶ岳を望む
農道の大久保は杉木立には、
両人の碑が寄り添っている。