いつもありがとうございますm(__)m
やっと、携帯をカメラ付きにしました。
機種変更は久しぶりで、
ずいぶんと使い勝手が進化していますね。
よく降ります。
先日は毎年恒例の愛媛県上島町
(しまなま海道から外れ、島々が点在する)
瀬戸内海の活動にボランティアで参加していました。
写真は『地引き網』の様子でゴザイママス。
各地では豪雨の被害も甚大でしたが
台風の目のような穏やかぶりでした。
いつもありがとうございますm(__)m
やっと、携帯をカメラ付きにしました。
機種変更は久しぶりで、
ずいぶんと使い勝手が進化していますね。
よく降ります。
先日は毎年恒例の愛媛県上島町
(しまなま海道から外れ、島々が点在する)
瀬戸内海の活動にボランティアで参加していました。
写真は『地引き網』の様子でゴザイママス。
各地では豪雨の被害も甚大でしたが
台風の目のような穏やかぶりでした。
ナマッタ体を正常化にするために、
今日は定休日でもあるので、
美麻珈琲→木崎湖湖畔の稲尾→時計回りに一周コース
久しぶりの22000歩の15kmの遠足にでかけた。
木曜度に歩きつつ、つないで日本海・糸魚川まで
帰りは大糸線で帰ろうと考えている。
今回は手始め。
日本海から松本や塩尻に塩を運んだ、
「塩の道」の道がある。
木崎湖より南に流れ出す農具川を今よりも堰を高くして、
湖面の水位をあげ、城のある半島に水路を作り、
堀にを廻らしていたようだ。
近くに居ながら知らないことばかりである。
木崎温泉の松林、手前のハス
湖北の上諏訪神社あたりから
稲尾・さらに山の上は「居谷里湿原」・美麻珈琲方面を望む
先月の『何んとなく、見島』は関西を未明発にて始まった。なんで見島なのかもほぼ解からないままに参加するはじめ君。更に解からないのは、しげ坊である。厚狭の隆ちゃんが突如「来い」と半ば強制的に誘っておきながら・・・。
どんより曇った中を萩港から75k先の孤島を目指す「おにようず」丸。穏やかな海を見島へと滑り出した。出港直前まで、萩で昼飯を食い、さらにナビ誤差で港への到着に遅れたのに、さらにさらに売店でスナック菓子らを買うマコトちゃん。直前に飛び乗ったのだ。
今回の主たる目的は萩の自家焙煎の店探索。事あるごとに訪れた萩ではあるが、コーヒーの仕事をしてからは初めて。更には時間があれば新設となった『県立歴史博物館』に行きたかったが今回は見送り。
あとからみたら、やはり、宮本常一が見島を丹念に調査していた。離島振興を手弁当で買って出た、民俗学の権威者になることを敢て、ひかえ、下支えした人。改めて宮本に親しみが納得が増した。
潮風で錆びた自転車で坂の島道をまわりました。ロシア兵を手厚く看護した地。日露との海戦を身近に感じました。
以下はメッチャ金子みすゞに詳しい「しげ坊」の記事です。郷土愛にあふれています。
漂着した果実からの木であることは驚異ですね。
産地だより
夏ミカン原樹で加工品 地域資源広くPR/山口・長門市の洋菓子店【中国】 掲載日:09-05-31
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</shape> 農商工連携に取り組む山口県長門市の洋菓子店「LE MONDE」は、国の天然記念物に指定される「大日比夏みかん原樹」の果実でマーマレードを作った。独特の苦味と渋みがある300年前の味を復元し、加工品にすることで地域の資源を広くPRしたい考えだ。
棚田に関わって・・・。
「控え目で、主張しすぎない、攻撃を仕掛けない、謙虚な日本人と田作り」
昨日までは梅雨の晴れ間で二日間は雨があがっていた。恐らく、刈り取りを迫られている秋播き麦の穂も乾いていることだろう。予定では朝から、第二回目の刈り取り日だ。
娘は函館にコーヒーの営業を兼ねて、兄に会いに行き留守なので、店は仕方なく昼までは休んで、麦刈に行く準備をしていた。
ところが、出かける手前で激しく降ってきた。やがては、降ったりやんだりの梅雨らしい天気に戻ってしまった。念のために、麦生産者組合(仲間内では、ふざけて組合などと呼び合っているのだが・・・単なる数人の地元ⅰターン同士である。)の組合長補佐(村内の屋台カレー屋のヨウちゃん)に電話をした。
『早く刈り取らないと、実が落ちて収量が減るのだが、雨では穂が重たく濡れて脱穀もし辛いので、残念ながら、今日は無しにしましょう。』との返事であった。どこまでも手探りの麦作りである。
中止。それでは、ということでイタリアンブレンドを製菓用に焙煎をして、出荷準備を完了していた。
雨の日の美麻珈琲。きょうは平日で来客は少なしかなぁー。
開店後、しばらくして来られた地元の親子三人組み。お歳は私の両親よりは少し若いかなぁ。恐らくは美麻の方で、よく来られる。父さんはコーヒーを、母ちゃんと娘さんはカフェオーレを注文された。そして手際よくオーダーをお出しした。
その間にコーヒー豆を買いに来られる方が、今日はたまたま多くて、四組ぐらい続いていた。コーヒーを粉にし、雑談なりで、小一時間が過ぎ去った。
ところが先の三人さん。コーヒーと同時に聞いていたケーキ三品をお出しするのをすっかりと忘れていた。「すみません」すっかりコーヒーは飲み干しておられる。イライラもせずに(そのように観えたが)、そのうち気がつくだろうと、ただ今か今かと、ケーキが出てくるのを待っておられた様子である。
街場なら「ええ加減にセンカイ!」であろう。今の時代、常には少しの不手際に皆がいら立っている。
お父ちゃんが職場で上司(その上司は顧客からエスカレートした要望・苦情を突き付けられて)にあたられて、家庭に持ち込み妻へ、お母ちゃんは子へ、子は猫を蹴飛ばすという具合にイライラがさらなるストレスを生み、さらに弱い者へと及ぶ・・・。
余談だが、御当地では間違ってそれに近いお客様は皆無である。街ではそれが常であり、特に最近では販売員も可哀そうなくらいに、意味が理解できない不満をぶつけられることが多い。
さて、私も田舎の代名詞「丹波篠山」の育ち。若いころは、そこで暮らす大人たちの言動は相手を許容して、耐え忍ぶ風にしか映らなかった訳だった。しかし、今となっては、それ以上に、大らかで寛大で、その奥深い性格とは何から生まれるのかとおもうのである。
九州の入り口にあたり、倭国を構成する三十国の中のひとつでもある4千余戸の末盧(まつろ)という国があったらしい。末盧国の津の所在地は秀吉が朝鮮出兵で名護屋城を築いた近くの、イカで有名な「呼子」のようだ。
①「~草木茂盛し、行くに前人を見ず」
②「好んで魚鰒を捕え水深浅となく、皆沈没してこれを取る。」
『三国志』という歴史書の中の一節の巻三十にある『魏志倭人伝』では2~3世紀の日本列島についての二千字におよぶ記載がある。最も有名なのは女王卑弥呼が登場する邪馬台国についての記載だが、AD238年に来倭した郡使の報告書をもとに「陳寿」がこの倭人伝を記述している。
その頃は米づくりも始まっていたのだろうか?草木が繁茂して「前の人が見えんわぁー」の状態であったのか。半農半漁で魚も潜って取っていたのかなぁ。当時から、温暖で穏やかな気候に恵まれた中で育ってきた我々の先祖は、その分だけ植物に、特には旺盛な雑草と対峙しなければいけなかったのだろう。
耕作面積の少ない田畑を除草し、耕作する時の方法とは、すべてに人力であり、馬や牛を多用することが少なかったようだ。西日本に渡来した騎馬民族は例外として、たくさん馬を飼っていたアイヌなども馬や牛は財産であり、乗ったりすることはなく家の宝として飼っていたらしい。
中部地方から東日本にかけては家畜に犂(すき)をひかせたりすることは、加賀国と山梨の一部で記録としてあるぐらいで、明治になるまで使われてこなかったらしい。
そんなわけで、日本では総体に犂を使う歴史が浅く、鍬のみで耕作してきたようだ。耕すにも、畝を上げるにも、鍬で引くという動作を繰り返し、続けた。
ちなみに「口取り」という方法で牛を引き、東日本では南部牛に鉄などを背に付けて、鋳物で有名な川口や遠くは中部地方の信濃川河口の新潟三条まで来たようだ。また帰路を空身で牛を引っ張って帰るのは面倒ということで、そこで売ってしまったようだ。その地に自ずと牛が増える。その結果、その牛を使い、塩を背にして奥地まで荷揚げした。糸魚川から松本への塩の道でも、多くは3頭以上もの牛に塩を積み、ひとりの馬子が引いたらしい。
ところで、鍬の種類の特徴も様々である。鍬の地域による形状の違いは、その土地の特徴を反映した鍛冶屋さんの造りの違いとされている。こちら長野ではよく見る、下記の「上田鍬」という形のものは、関西では珍しいので形に重さに驚きであった。
平鍬・・・田畑の作業全般向け。畝立て、整地など。一般的に見かける形の鍬。作業的には「打引鍬」に属し、打鍬(鍬先を土壌に打ち込み、柄を持ち上げることで土壌を引き起こすもの)と引鍬(地面に平行に引き込むような動作で作業する鍬)の中間的存在の万能鍬。
唐鍬・・・田畑の作業全般向け。掘り起こし、硬めの土や未開地の耕起、砕土。
備中鍬・万能鍬・・・土の塊をほぐす、深堀、耕起、掘り起こし。
開墾や耕起等に使われる打鍬の一種。刃床部が三股、四股になっている。収穫等にも広く使われ、特に土の中の根菜類を掘り取るために使用される。(堆肥万能鍬は備中鍬に似ていて刃先が尖った鍬)
ジョレン・・・土砂等をすくったり、ならしたり。草を削る、切る、集める。
ウナウとは、耕地を耕起すること、サクルとは作条、畝立て、中耕などの作業をさし、両方の作業ができるよう2本の鍬をもっていることが農家の一人前の条件でした。ウナイ鍬は、深くうち込んで土を起こすので重く大きいものでしたが、絶対的な呼称ではなく、男性のサクリ鍬を、女性がウナイ鍬として使用する場合もありました。柄の角度、長さは、耕作する土地の状況、地域に左右される。
引くという行為に戻り。
「草木茂る」この国の農耕は繁茂する草を除草する作業の連続である。その鍬、鎌も、すべては手前に引くわけである。
反して、犂(西洋では馬で鋤くという文化からトラクターが生まれたのだろうか?)、スコップ、フォーク(牧草などを突き刺し、跳ね上げ反転させるもの)などはヨーロッパの突くという行為の道具である。
実は日本の鋸も鎌倉期ぐらいまでは突いて切っていたようだが、潜在化されている性分性格からなのだろうか?手前に引くという具合に変化している。
グローバル化の波が押し寄せる今日、我々は依然「灰色的」「推し量る」「控え目」「謙虚」「出しゃばらない」「攻撃的でない」などが主流である。行き過ぎには問題があるが、永年培い、日本人の『引く』から生まれた性格のそれは決して、短所でないとおもえるこの頃である。
利他の心、友好の旗印のもと、もちろん戦前・戦中の負い目もあるのだろうが、それでもゴリ押しで内外に平和とは程遠い好戦的な態度で肥大する軍備を抱えるその国に国際協力・援助を繰り返す「引く国」も特異?という例もあるが・・・。
今しがた、ヨウちゃんが脱穀した麦を持って来てくれた。すでに夜道なのに。
午後の晴れ間を見て、脱穀作業をしてくれたらしい。話をしていて、自ずと頭が下がる。今日の分け前は強力小麦一袋。ほめく(発熱)ので、急いでガレージに干した。
ゴミを飛ばすトオミはどこにあるのか。粉にするにはどこでやるのか。自前の地粉100%で「天然酵母石窯パン」作りもこの先が長いぞーと。
平成二十一年七月十三日
(雨のち曇り時々晴れ)
雨が続きますね。
今日は雨の合間に
美麻珈琲への登り道の補修をおこないました。
雨の流れが川になり、
それとともに砂利が流れていく。
この春に入れた土砂も雨とともに・・・。
晴れ間に、コーヒー2杯でEEDAさんが
登り坂の途中に
流れを変えるコの字型の鉄材を
鉄杭で固定してくれた。
これで雨水はワダチを流れることなく
側溝に流れるでしょう。
幾分はマシかも。