今度の日曜の『ポケット 昼下がりのシャンソン』ライブ、手持ちのチケットは完売しました。お申し込み有難うございました♪お店に問い合わせたら、あと数席なら確保可能という事ですので、参加ご希望の方はお早めに私までご連絡下さい^^v。
初場所にて今年初歌いの私。お初の曲をひとつ。『待ちましょう』というシャンソン。そこで昨夜ネットで調べてみた。(今頃かい!!)以前からなんとなくいい曲だと思っていたが、知らないエピソードに驚いた。
第二次世界大戦でドイツ軍に占領されてしまったフランスの人々が、この歌に希望を託して歌ったと言われているが、作曲はイタリアのオーケストラの指揮者だったディノ・オルヴィエーリがブッチーニのオペラ「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」にヒントを得て作った曲らしい。フランスで創唱したのはイタリア出身の人気歌手リナ・ケティ。その後戦争関連映画によく使用され、広く世界に知れ渡ったようだ。日本では淡谷のり子が歌っていた。(私は聴いたことないなぁ~。)
お次は『コメ・プリマ』
私のレパートリーの『夢見る想い』や『雨』と同じくマリオ・パンゼリの作品。1958年のサンレモ音楽祭では革新的な歌だったようだ。審査員からは不評で予選落ち。因みにこの年の優勝曲は、ドメニコ・モドゥーニョの『ボラーレ』であった。当時はベルカント唱法こそがカンツォーネだ!と思われていて(審査員たちには)、コメ・プリマを歌ったトニー・ダララの「泣きの入ったシャウト唱法」は嘲笑の対象だったのだ。
しかしイタリアの若者たちは、日本同様に敗戦によるアメリカ進駐軍の影響で「アメリカ物」に敏感で、トニー・ダララにプラターズのトニー・ウィリアムズを、『コメ・プリマ』に『オンリー・ユー』を重ね支持。その結果この曲は世界中でヒットし、新しいイタリアの大衆音楽の方向性を決める革新的な歌となったのだそうだ。
いやぁ~、調べだしたらキリがないが、面白い面白い!歌の一つひとつに生まれた背景があり、時代があり、様々な影響がある。好きな歌には、さらなる愛着が湧いてくる。
作曲家をつくづく尊敬して止まない、大衆の中の私である。
初場所にて今年初歌いの私。お初の曲をひとつ。『待ちましょう』というシャンソン。そこで昨夜ネットで調べてみた。(今頃かい!!)以前からなんとなくいい曲だと思っていたが、知らないエピソードに驚いた。
第二次世界大戦でドイツ軍に占領されてしまったフランスの人々が、この歌に希望を託して歌ったと言われているが、作曲はイタリアのオーケストラの指揮者だったディノ・オルヴィエーリがブッチーニのオペラ「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」にヒントを得て作った曲らしい。フランスで創唱したのはイタリア出身の人気歌手リナ・ケティ。その後戦争関連映画によく使用され、広く世界に知れ渡ったようだ。日本では淡谷のり子が歌っていた。(私は聴いたことないなぁ~。)
お次は『コメ・プリマ』
私のレパートリーの『夢見る想い』や『雨』と同じくマリオ・パンゼリの作品。1958年のサンレモ音楽祭では革新的な歌だったようだ。審査員からは不評で予選落ち。因みにこの年の優勝曲は、ドメニコ・モドゥーニョの『ボラーレ』であった。当時はベルカント唱法こそがカンツォーネだ!と思われていて(審査員たちには)、コメ・プリマを歌ったトニー・ダララの「泣きの入ったシャウト唱法」は嘲笑の対象だったのだ。
しかしイタリアの若者たちは、日本同様に敗戦によるアメリカ進駐軍の影響で「アメリカ物」に敏感で、トニー・ダララにプラターズのトニー・ウィリアムズを、『コメ・プリマ』に『オンリー・ユー』を重ね支持。その結果この曲は世界中でヒットし、新しいイタリアの大衆音楽の方向性を決める革新的な歌となったのだそうだ。
いやぁ~、調べだしたらキリがないが、面白い面白い!歌の一つひとつに生まれた背景があり、時代があり、様々な影響がある。好きな歌には、さらなる愛着が湧いてくる。
作曲家をつくづく尊敬して止まない、大衆の中の私である。