本日、5月29日、メルケル独首相とオランド仏大統領が100年前のヴェルダンの戦いの追悼式典に参加しました。
メルケル独首相は追悼式典でヨーロッパにおける国家主義的思想及び行動に警鐘を鳴らしました。「ここでは歴史が胸が締め付けられるほど身近です。ヴェルダンは私たちの念頭を去らない、また去ってはならないのです。ヴェルダンは残虐性と無意味さそのものの象徴です。同時にヴェルダンは平和への憧憬、敵対心の克服及び独仏和解のシンボルでもあります」とメルケル独首相は語りました。
オランド仏大統領は欧州連合の諸問題に警告を発しました。「分裂、閉鎖、隔離の力学が再び働いている。その力学はヨーロッパを悪の根源と誹謗しており、ヨーロッパが不幸から生まれたものであることを忘れている」と二つの世界大戦を示唆しました。
両首脳は29日午前、まずヴェルダンのコンサンヴォワ(Consenvoye)村にあるドイツ兵墓地で花輪を置き、ヴェルダン市役所訪問後には市内の記念碑の前にも花輪を置きました。市内では子どもたちが平和のハトが付いた白い風船を飛ばしました。その後ドゥアモンの遺骨堂前で追悼式典が行われ、両首脳は「記憶の炎」を点火しました。
32年前
ヴェルダンにおける最初の独仏和解は1984年9月22日、フランソワ・ミッテラン仏大統領とヘルムート・コール独首相の間で達成されました。両国首脳はドイツ及びフランス国歌が演奏されていた数分間ずっと手を取り合っていました。ミッテラン元大統領のメモワールにもコール元首相のメモワールにもこの時のジェスチャーがその場の雰囲気で自然発生的に行われたものと語っていますが、これは前以て打ち合わせされた計画的仲直りジェスシャーだ、と見る向きも少なくありません。両首脳にとって、ヴェルダンは個人的にも因縁深い場所でした。コール元首相の父は第一次世界大戦中この地で戦い、ミッテラン元大統領は第2次世界大戦の際に年若い兵士としてこの地で戦い負傷しました。
この歴史的式典はかつて要塞があったヴェルダン近郊のドゥアモンにある遺骨堂前で行われました。遺骨堂には身元不明の約13万人のドイツ及びフランス兵士の遺骨が納められています。今日の式典もこの場所でした。
ドゥアモン遺骨堂
100年前
1916年2月21日にドイツの先制攻撃によって始まったヴェルダンの戦いは第1次世界大戦において最も長く(300日間)続き、最も多く物資を消費し、最も多く死者を出した戦いです。ドイツ軍はすぐにドゥオモン要塞を占拠することに成功しましたが、フランス軍が同年7月24日にドイツ軍の進行を阻み、反撃を開始。10月24日にはドゥオモン要塞奪還に成功し、同年12月18日に戦闘が終了したときには戦闘開始した2月21日と殆ど同じ境界線に戻っていました。全く無意味な戦いでした。しかし、当初ドイツの参謀本部長であったエーリヒ・フォン・ファルケンハインはこの作戦が数日間で終了し、西部戦線における決定打となることを確信していたらしいですが。
二正面戦争を戦っていたドイツに比べ、フランスは対ドイツ作戦に物資も兵士も集中させることができ、前線の兵士たちの慰撫も怠りませんでした。前線には飲料水よりワインの方が豊富にあったという。フランスの植民地からも大量に人員がドイツ前線に投入されました。
ドイツ側は二つの主要な要塞ドゥオモンとヴォーを占拠した後は防御に専念し、大砲などの重火器の大部分をロシア前線の方へ移動させました。要塞を中心とするフランス前線に残された兵士たちは見捨てられたと言っていいくらい食糧や下着などの衣料品の配給が滞り、飢えと渇きと病気に苦しめながらフランス軍の反撃に耐えざるを得ませんでした。
この戦いで、砲弾2600万個、毒ガス弾10万個が投入されました。独仏両軍総計200万人の兵士たちが戦い、うち35万人が死亡しました。兵士の前線での平均寿命はたったの14日間でした。ヴェルダンでは今でも雨が激しく降ると兵士の遺品や遺体の一部が出て来ることがあるそうです。
負傷者は約40万人と言われています。多くの人が一生治らない傷害を負い、精神を病みました。精神病院から死ぬまで出られなかった負傷兵たちも少なくありませんでした。
一般市民は早期に避難させられていたので、犠牲者は最小限に留まりました。そこが無差別攻撃の多かった第2次世界大戦との大きな違いですね。
オバマ大統領広島訪問の意味を考える
何世紀にもわたって宿敵同士だったドイツとフランス。現在では、時々少々の軋みがあるとはいえ、EUの2大国として緊密な協力関係を築いています。折々に、今日のように宿敵だった過去を共に振り返り、現在の友情を確かめ、それを未来に続けていくことを願う儀式を執り行っています。この徹底的な歴史意識に私は感銘を受けざるを得ません。ドイツとフランスは既に謝罪するしない、補償するしないの議論の段階をとっくに超えて、対等なパートナーとしてヨーロッパの未来を担っていくことに専念しているのです。
それに対して日中関係、日韓関係は言わずもがなですが、日米関係ですら独仏関係の段階に到達していません。なぜなら日米は未だに対等なパートナーではないからです。日本はアメリカの属国のままです。
現役大統領としては初めてのオバマ大統領の歴史的ヒロシマ訪問も謝罪は期待されていませんでしたし、オバマ大統領も謝罪するつもりなど毛頭ありませんでした。日本のメディアではオバマ大統領の広島訪問が実現したことが安倍首相の手柄のように報道されているようですが、海外メディアは非常にシビアな見方をしています。
米紙ニューヨークタイムズの5月26日付の記事では、戦後日本が憲法9条と日米同盟のもとで平和主義をとってきたと述べ、独自の軍隊をもち国際的により大きな役割を担う「普通の国」に変えようという安倍首相の路線は、原爆ドームに象徴されるメッセージ、すなわち、広島の慰霊碑の石碑に刻まれた「過ちは繰返しませぬから」の言葉に反している、と伝えられています。記事の最後を、市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」共同代表である森瀧春子氏によるコメント「私はオバマ大統領には会いたい。けれども、その隣に安倍首相が立つ姿を見たくはない。広島の記憶を、利用してほしくはないのです」で締めているのは最も強烈な安倍批判と言えるでしょう。
また英紙ガーディアンでも5月27日付電子版では、ロンドン大学SOAS・ジャパンリサーチセンターのシニアフェローであるマーティン・スミス氏が英報道局「Sky News」に語ったコメントを引用し、「オバマが謝罪しなかったことは、安倍政権の右翼志向を推し進めるのに利用されるでしょう。そして、むしろ東アジアでの日本の軍事的役割を強化し、1930年代から40年代に起こったことを忘却したい、いや、否定したいと思っている支配者層を後押しことになるのでないか」と指摘しています。
独紙南ドイツ新聞の評論も辛辣です。被爆体験を利用して加害歴史を隠蔽し、被害者になりすます日本と、「核兵器で早期の戦争終結を実現して犠牲を押さえた」と戦争犯罪を糊塗するアメリカの共犯関係を指摘しています。詳細な日本語訳に興味のある方は在ベルリンジャーナリスト・梶山太一郎の反核覚え書き「明日うらしま」をご覧になってください。ところどころ若干不正確な日本語訳になっていますが、大意に間違いはありません。
要するに日本もアメリカも過去を反省し、歴史からしっかりと学ぼうという姿勢が足りないようです。アメリカ側は「自分たちが始めた戦争じゃない」とまだ言い訳が効きそうですが、日本の場合はその言い訳が立ちませんから、オバマ大統領が謝罪しなかった例に倣い、今後日本も謝罪しなくて良い、という結論を導き出すのは恥知らずとしか言いようがありません。是非とも独仏関係を見習ってほしいものです。
参考記事:
ZDFホイテ、2016.05.29、「ヴェルダンの追悼:色鮮やかかつ真剣に」 (元記事は既に削除されています。2017.05.20)
ツァイト・オンライン、2016.05.29、「ヴェルダン:かつての戦慄を思い出す」
ZDFインフォ、2016.05.29、「ヴェルダンの災厄:血まみれの攻撃」(ビデオ)
ZDFインフォ、2016.05.29、「ヴェルダンの災厄:死の幻想」(ビデオ)
ニューヨークタイムズ、2016.05.26、「日本のリーダーは広島の平和の教訓をほとんど活かすつもりがない」
ガーディアン、2016.05.27、「G7サミット:オバマは広島に歴史的な訪問をする」
南ドイツ新聞、2016.05.26、「なぜ日本政府はヒロシマについての謝罪を望まないか」