徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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フランス横断旅行記(3)ー 光の海岸 :イル・ドレロン島

2016年06月26日 | 旅行

2012年6月29日、ラ・ロシェル(La Rochelle)を出発し、イル・ドレロン(Île d'Oléron)島へ向かいました。

 

イル・ドレロン島に行く途中にロシュフォール(Rochefort)という街があります。ラ・ロシェルのライバルでもあり、17世紀にフランス最大の造船所の立地として整備されました。毎年300隻以上の帆船が進水していたとか。18世紀以来海軍武器庫の立地でもあります。

   

ロシュフォールの海岸から引き潮の時だけ通れる道を通って小さな島(イル・マダム、Ile Madame)に行くことができます。

    

海岸から島まで意外と距離があり、道もところどころ歩きにくいところがあって、往復したらかなり疲れました。

その後、イル・ドレロン島へ。泊まったホテルはレ・ジャルダン・ドレロン(Les Jardins d'Oléron)という二つ星ホテル。ダブルルーム二人で一泊64ユーロ。朝食は一人8ユーロ。4年後の現在でも値段は変わっていないようです。ホテルというよりはペンションという感じですが、アットホームで清潔感のある感じの良いところでした。

このイル・ドレロン島はフランスでコルシカの次に大きい島です(長さ60㎞、幅は最も広いところで15㎞)。長くきれいな砂浜、砂丘、松林…そしてカキの養殖所(写真は翌日の2012年6月30日のもの)。

 

遠くに見えるのはロシュフォールのフランス海軍基地を守護するための要塞フォール・ボワヤール(Fort Boyard)。ナポレオンの指揮下で、1801年に着工しましたが、引き潮の時しか工事ができないことと、砂州に運び込んだ岩塊が自らの重さで砂州に沈み込んでしまうこともあり、1809年には工事中止。1837年に英仏関係がまたしても緊張したのを機に工事が再開されました。1847年に土台が完成し、10年後の1857年に要塞が完成。工事期間はトータル28年ですが、同じものを現在立てるとしたら、もうちょっと速く完成するのでしょうか?現代でも大きな建設プロジェクトは大抵予定よりも時間がかかり、予算を超える費用がかかるものですが…

上から見るとコロセウムを楕円にしたような奇妙な建物(写真はドイツ語版ウィキペディアより)。本当にイギリスに対する防衛に役立ったのかは不明。

 

 

こちらはカキの養殖村。周りは自然保護区のシト・ド・フォール・ロワエ(Site de Fort-Royer)。カモメが幅を利かせています。

     

 

次に訪れたのが野鳥の湿原(Marais aux oiseaux)。タカやフクロウなどの猛禽類以外は基本放し飼い。なぜか亀もたくさんいました。

            

野鳥の湿原を回った後はサン・ピエール(St-Pierre)という地区のル・フォラン(Le Forum)というレストランでディナー。前菜は当然カキ。ボリュームたっぷりで、ダンナもご満悦。

    

 

翌日7月1日はオレロン城の1630 ー 1704年に建設された要塞(Citadelle du Château d'Oléron)へ。天気は漸く快晴。

     

 

要塞を出るとすぐに大陸へ向かう橋があります。次の目的地はボルドーでしたが、そこへ行く途中で、光の海岸(コート・ド・リュミエール)南端であるジロンド川河口のあるロワヤン(Royan)に寄り道しました。

 

海水浴場となっているジロンド川北岸は砂浜が2㎞にも及んでいます。豪華なホテルやショッピングモール、遊歩道など、割と贅沢に整備されたリゾート地です。

     

ロワヤンは、19世紀から20世紀初頭にかけてボルドーからの富裕層や作家、芸術家などが集まりました。エミール・ゾラは海岸の写真を撮り、ピカソはカフェ・デ・バンを描きました。それらは記録の中でしか残っていません。なぜなら、第二次世界大戦中にドイツ軍と上陸した連合軍の間で激しい戦闘が行われ、町の85%が破壊されてしまったからです。

それでもいくつかアールヌーボー風の家が残っています。

   

ボルドー編に続く。

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フランス横断旅行記(1)— ロワール地方&ポワトゥー・シャラント地方 

フランス横断旅行記(2)ー 光の海岸 :マレー・ポワトヴァン&ラ・ロシェル


フランス横断旅行記(2)ー 光の海岸 :マレー・ポワトヴァン&ラ・ロシェル

2016年06月26日 | 旅行

2012年6月26日の夜遅くニオールから更に西へ約70㎞走り、宿泊地であるラ・ロシェルへ到着。イル・ド・ノワルムティエからジロンド川河口までの大西洋沿岸は『光の海岸(コート・ド・リュミエール)』と呼ばれています。1年の日照時間は2000時間に及ぶとか。コート・ダジュールに次ぐリゾート地だそうですが、値段的にそんなに高くありません。

ホテルはBrit Hotel La Rochel - La Brasserie du Cap で、ツインで1人当たり一泊73ユーロ。4年後の現在でも値上がりはしていないようです。朝食は一人8.40ユーロ。まあ、おフランスの標準的な朝食でしたね。ハム各種やサラダなどが出て来ることはなく、バゲットやクロワッサン、ハム1種類、チーズ2-3種類、果物、ジャム各種、シリアル各種、茹で卵、牛乳、ジュース、ヨーグルト、コーヒー、紅茶。これがフランスの三つ星ホテルの朝食のスタンダード。最近ではフランスのホテル朝食も変わりつつあるらしいですが…


6月27日、朝食後目指したのはラ・ロシェルの街中ではなく、北東へ30㎞戻って、マレー・ポワトヴァンという広大な湿地帯へ向かいました。ここは数千の運河が迷路のように錯綜しており、現地の人は大昔から平らな黒いボートで水路を移動しています。湿地帯の中央を流れる川はセーヴル川で、前日訪れたニオール(Niort)に繋がっています。

    

大きな運河の跳ね橋が上がるところを捉えました。

 

足元をよく見ると、カタツムリが鈴なり!

 

小さな村の教会を除いてみました。

    

更にドライブし、比較的乾燥している区域から緑深い地域へ。

    

ダンナが混んでるところが嫌いなので、なるべく人のいないところを狙って車を止め、自然を楽しんでいましたが、一応観光地でもありますし、観光客向けのボートなども出ております。下の写真はメゾン・ドュ・マレー・ポワトヴァン(Maison du Marais Poitevin)より。

私たちは一日湿地帯で過ごし、晩ごはんですらスーパーでバゲットと出来合いサラダやハムや飲み物を買って、運河沿いに腰を下ろして食べたり。。。

翌日の6月28日は、ラ・ロシェルの水族館へ。建物の写真は水族館のオフィシャルサイトから。

 

水族館の中ではあまりいい写真は取れなかったのですが、そこそこ成功したものをここにアップします。

     

砂利の中に穴を掘って住む魚がかわいい。

  

さていよいよラ・ロシェルの11世紀から栄えた港町と旧市街。港への入り口を見張るのは14世紀に建てられた『鎖の塔(トゥール・ド・ラ・シェンヌ、Tour de la Chaine)』(左)と『聖ニコラス塔(トゥール・サン・ニコラ、Tour St. Nicolas)』(右)。以前はこの二つの塔の間に鎖がかけられ、港への侵入を阻むようになっていました。

 

『鎖の塔』から100mくらい離れたところには15世紀に建てられた灯台、トゥール・ド・ラ・ラテルヌ(Tour de la Laterne)があります。

こちらは港の内側と港に面した旧市街。真ん中に移っている時計塔は元々は中世の城壁に据え付けられていた塔で、馬車用と歩行者用の出入り口になっており、時鐘(1478年のもの)が備えつけられていました。現在のルイ15世スタイルの時計塔になったのは1746年。

 

 通称『アンリ2世の家(Maison Henri II)』またの名をオテル・ドューグ・ポンタール(Hôtel d'Hugues Pontard)。16世紀中庸に建築家ポンタールによってアンリ2世のために建てられたもの。ロココのような派手さはなく、つつましやかな美しいお屋敷。

 

対して、市庁舎は豪華。15世紀末から16世紀初頭にかけて建設された市長の居城です。外側はごっつい城壁、ゴシック様式の門に守られ、内側はルネサンス様式の優美なパレスになっています。外壁の写真はフランス語版ウィキペディアから転載。

  

街を少し離れると、素敵な遊歩道のある海岸公園が…

   

まだ明るい感じがするかもしれませんが、最後の写真は夜の10時過ぎてます。10分後にはこんなに暗く…

翌朝、次の目的地に移動する前にラ・ロシェルの旧市街をもう一度見て回りました。灯台も見てきました。

 

ここから旧市街。

  

 

次の目的地イル・ドレロン(Île d'Oléron)へ続く。

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