ちょうど3年前の今頃、2013年5月11日-14日、女友達と二人プラハに行きました。FBで「x年前の今日」などというリマインダーがあり、プラハ旅行のことを思い出しました。この3年前のプラハ旅行が私にとっては初めての東欧旅行でした。チェコには実は1990年代初めに通訳の仕事でドイツのドレスデンからちょっとだけ足を延ばしたことがあります。国境のテプリチェという街でした。森林破壊についての取材だったので、観光はしてません。
3年前に話を戻します。2013年は春の遅い年でした。4月になっても霙が降ったくらいで、5月のプラハ旅行の天気を心配していたものです。旅行中はそこそこ天候に恵まれ、ラッキーでした。その翌月の6月、集中豪雨でモルダウ川が氾濫し、プラハの街は洪水で凄いことになっていました。自分たちは何とタイミングよく旅行に行ったのだろう、と感心したものです。
私たちが泊まったホテルはCasa Marcello。
1000年以上の歴史を持つ聖アグネス修道院に隣接しています。
改築・増築を繰り返したためでしょうが、ホテルの造りはかなり複雑でした。私達の部屋は修道院が見えるところで、ホテルのフロントからかなり離れていました。ホテルのWiFiがほとんど届かず、廊下へ出て20mくらい歩いたところに椅子があったので、そこに座ってネット接続してました。
プラハについた当日は、取りあえずモルダウ川でディナークルーズ。
下の写真はカール橋とプラハ城(©Frank Spakowski - CC BY-SA 2.5)。私の当時持っていたカメラでは撮影不可能だったもの。素敵な夜景でした。
翌朝のホテルの朝食ビュッフェ。ここで素敵なアメリカ人老夫妻と一緒になり、ちょっと雑談。特にご婦人は愛想がよく話好きで、彼女たちの旅行のことを話してくれました。なんでもヨーロッパ横断旅行中とかで、ブダペストに行った後にプラハに来たとのことでした。彼女が熱心に「ブダペストは素晴らしかった」と褒め称えていたので、では私たちも次はブダペストに行こうと決め、2年後に実行に移すことになりました。
朝食の後はツアーでプラハ城へ。小高い丘の上にそびえるプラハ城は9世紀に造営された要塞が最初で、カール4世施政下(1346-78)やヴラディスラヴ・ヤジエロ2世施政下(1471-1516)に大規模な拡張工事がなされ、最後にオーストリア・ハンガリー帝国皇室ハプスブルク家の御世に豪奢なバロック様式の宮殿が建造されました。1918年以降、プラハ城はチェコ大統領の官邸となっています。要塞としての名残の城壁や見張り塔の他、チャペルや聖ヴィトゥス大聖堂や聖ゲオルグ修道院が敷地内にあります。
ツアーの一環でまたクルージングすることに… 幸いクルージング中は晴れ。
クルーズの後はちょっと街中を散歩。天気が大分崩れてきていました。
結構てくてくと歩き回ったので、かなり疲れました。夕食の写真はないので、多分簡単に済ませたのだろうと思います。安い食堂でグーラッシュ食べたのはこの日だったかも。
翌日の5月13日は晴れて、私たちはまたてくてくと旧市街へと歩いてゆき、小さなアルフォンス・ムシャ美術館を訪ねました。
休憩をはさんで、ユダヤ人街も覗いてみました。シナゴーグの中を拡大して見てみて下さい。
ユダヤ人墓地は立派な屋敷のようなものから単なる墓石のかけらまでいろいろ。。。
割と新しいシナゴーグも。なんだか目がちかちかするほど色鮮やか。
翌5月14日は20世紀初頭に立てられたアールヌーボー様式の市庁舎で開催中だったアルフォンス・ムシャ展へ。
展示会を見て回って足が疲れたので市庁舎1階のカフェで休憩。お値段はかなり高かったです。でもしっかりケーキも頂きました。
帰りのフライトまでかなり時間があったため、カール橋を渡って、プラハ城ふもとにある聖ニコラス教会へ。ロココ風のきらびやかな装飾にあんぐり。。。
プラハ城の近くだけあって、パレーが多く立ち並んでいました。
また橋を渡って、ホテルへ戻る途中、チェコフィルハーモニーの本拠地であるプラハ最大のコンサートホール、ルドルフィヌムを外から眺めました。
最後の夕食はまともなレストランで。でも、食べたのはやはりグーラッシュ。白くてモフモフしたパンがまた美味しい。
夕食の後に空港に向かい、夜の飛行機に乗ってドイツへ帰国しました。プラハ旅行は楽しかったですが、欲を言えば、もうちょっと天気が良かったらもっと素晴らしかったでしょう。
街中でちょっと興ざめだったのが、両替屋の多さ、でしょうか。いくら観光客多し、とは言え雨後の筍のごとく居並ぶ両替屋というのはやはり興ざめするものです。