徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:小長谷正明著、『世界史を変えたパンデミック』(幻冬舎新書)

2021年05月05日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

商品説明
二〇二〇年、世界は新型コロナウィルスの感染爆発に直面した。人類の歴史は感染症との闘いの記録でもある。十四世紀ヨーロッパでのペスト流行時には、デマによりユダヤ人大虐殺が起こった。幕末日本では黒船来航後にコレラが流行、国民の心情は攘夷に傾いた。一方で一八〇三年、スペイン国王は世界中の人に種痘を無償で施し、日清戦争直前には日本人医師が自らも感染して死線をさまよいつつペスト菌発見に尽力した。医学的・歴史的資料をもとに、人類がウィルスといかに闘い、打ち勝ったかを明らかにする。 
--「BOOK」データベースより

目次
はじめに
第1部 世界史を変えたパンデミック
都市封鎖の起源となった病--黒死病(ペスト)
永遠の都を守った「ローマの友達」--マラリア
ナポレオンの大陸軍が味わった地獄--チフス
黒船伝来の虎狼痢--コレラ
西部戦線異常あり--インフルエンザ
第2部 流行病に立ち向かった偉大な人々
天然痘を武器にした者、制圧した者
壊血病に挑んだキャプテン・クックのレシピ
日清日露戦争の脚気惨害
ペスト制圧と香港の「青山公路」
フェイクニュースが生んだ碧素(ペニシリン)

本書では、ペスト、マラリア、チフス、コレラ、天然痘、インフルエンザ、壊血病、脚気の8つの病気が扱われていますが、最後の2つは伝染病ではなく、ビタミンcまたはb1欠乏症です。でも、原因が分かっておらず、同じ環境・食生活にある多くの人が次々にかかって死亡者も出るとなれば、伝染病だと思われても仕方ありませんよね。
実際、脚気に関しては麦飯にすれば改善されるという事実から生活習慣病であるとする説と、ドイツ医学にかぶれた軍医らがきちんとした医学的研究がないという理由でこれを退け、流行の(?)ウイルス説を支持する陣営の間で論争が起こり、結局陸軍ではウイルス説が取られ、兵士たちへの白米支給を止めなかったために日清日露戦争で大量の脚気発症者を出して惨劇を招いたそうです。一方、海軍の方では白米を止めたために脚気発症者はほぼゼロだったそうです。この頃からすでに陸海軍の性格の違いがくっきりと出ていたのですね。

壊血病の方はイギリス海軍などの経験から、新鮮な食べ物やオレンジ・レモンなどの柑橘類やザウアークラウトが効くことが早くから知られており、水兵へのレモン汁の支給を徹底させることで長期航海を可能にし、イギリスの海の覇権を確かなものにしたのだそうです。大英帝国の栄光はレモン汁(またはザウアークラウト)のおかげだったと思うと面白いですよね。
船を動かしていたのはあくまでも人間でしたから、その人間が病に倒れてしまっては船が目的地にたどり着くことは叶わず、交易も植民地支配も不可能となります。

戦争の勝敗を決するファクターもやはり人間です。そして歴史上多くの場合、戦闘に至るまでの、兵站と兵士の健康状態の方が重要でした。敵に殺される人数よりも餓死・病死者数の方が多かったという史実を鑑みれば、兵站と兵士の健康維持がいかに難しいことであるか実感できます。
中世の十字軍の兵士たちが敵地に辿り着く前に没していったという話は知っていましたが、ナポレオンのロシア遠征も実はそうだったというのは本書で初めて知りました。兵力45万人でフランスを出発し、ポーランドあたりから兵士たちが次々とチフスで倒れ、モスクワに到着したのはわずか10万人。補給路が伸びすぎたことと冬将軍到来のため戦闘力はさらにそがれ、ロシア兵に追われて敗退する中、餓死者・凍死者も続出し、帰還者はわずか数千人だったとか。

コレラから考える幕末、インフルエンザ(スペイン風邪)から考える第1次世界大戦も非常に興味深いです。傑出した人物が悪いタイミングで流行り病に倒れ、事態が悪い方に転がっていったと見られることが一度や二度のことではないのですね。まさしく「世界史を変えたパンデミック」の数々です。

パンデミックがあると、往々にしてインフォデミックも起こります。ヨーロッパのペストパンデミックでは、ユダヤ人が井戸に毒を入れたせいだという噂が流れてユダヤ人迫害・虐殺のポグロムが各地で起こりました。
現在、新型コロナ・パンデミックの最中ですが、当初からどこぞの実験室から漏れた人口ウイルスのせいだというフェイクニュースが拡散されていましたし、発祥地が中国の武漢だったということから「中国風邪」という呼び名が一部に生まれ、そのせいかどうか知りませんが、アメリカでは反中国人の空気が強くなり、見るからにアジア系の人たちはおちおち街も歩けないほどの危険を感じているという話を聞きます。現代のインフォデミックは拡散速度も範囲も以前とは比べ物にならないので、きちんとした政治的対策を取らないと、大きな惨劇を生むことになるのではないかと心配です。パニックに陥った群衆ほど始末に負えないものはありませんから。

一方、本書の第2部では病気の解明・克服に尽力した人物たちも一部紹介されています。医学が往々にして尊い犠牲の上に進歩してきたことがよく分かります。
現在の新型コロナは、あっという間にウイルスが同定され、あっという間にワクチンも開発されたため、人類全体への影響という観点から見ると歴史上のパンデミックに比べれば比較的小さくて済むのかもしれませんね。絶対数で見るとかなりの犠牲者を出していますが、超過死亡率のパーセンテージで見るとインパクトはそれほど大きくないのかもしれません。
でも、社会的な影響はどうなのでしょうか。社会の分断が進み、何か革命的な展開があるかもしれませんね。ワクチン接種の普及でパンデミック自体は間もなく収束しても、元に戻らないものは少なくないのではないでしょうか。


『世界史を変えたパンデミック』をAmazonで購入する

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ