良い分別
禅家の教えの一つに「分別心を捨てなければならぬ」とありますが、私はこれを
「それは、座禅中のこと」というように解釈しております。
日常の生活時においては、人間はやはり、良い分別を行なっていかなければならないことも事実です。
「分別」とはおおまかに言えは、ものごとを二つに分けて、その二つを比べ合わせてみて、優れた方を採用することだと思います。
そこで今日は、人生における幾つかの重大事を、この分別智を敢えて用いて、考えてみましょう。
「けち」と「倹約」は、どのような点で違うのでしょう。世人は、この二つを同じように使っていますけれど、敢えて比べみれば、「倹約」とは自分一人がおカネを使わないということですが、「けち」は他人に迷惑をかけるという点において異なっているのではないでしょうか。
例えば、友達と酒をのんで勘定を払わないで逃げてしまうのは「けち」ですが、そのような酒席に最初から加わらないのは「倹約」であるように・・
「貧乏」と「質素」も同様で、汚れた肌と薄汚い服装をしていて、他人に不快感を警戒心を抱かせるのが「貧乏」で、つぎはぎあたっていても、洗濯がきいて、いつでもこざっぱりしているは「質素」です。
「信仰」と「宗教」はどうでしょう?一人ひそかに、自分の部屋の中で祈るのが「信仰」とすれば「宗教」とは、人々が集まり、指導者がいて、その指導者の意のままに従い、行動するものだと言えましょう。 つづく
禅家の教えの一つに「分別心を捨てなければならぬ」とありますが、私はこれを
「それは、座禅中のこと」というように解釈しております。
日常の生活時においては、人間はやはり、良い分別を行なっていかなければならないことも事実です。
「分別」とはおおまかに言えは、ものごとを二つに分けて、その二つを比べ合わせてみて、優れた方を採用することだと思います。
そこで今日は、人生における幾つかの重大事を、この分別智を敢えて用いて、考えてみましょう。
「けち」と「倹約」は、どのような点で違うのでしょう。世人は、この二つを同じように使っていますけれど、敢えて比べみれば、「倹約」とは自分一人がおカネを使わないということですが、「けち」は他人に迷惑をかけるという点において異なっているのではないでしょうか。
例えば、友達と酒をのんで勘定を払わないで逃げてしまうのは「けち」ですが、そのような酒席に最初から加わらないのは「倹約」であるように・・
「貧乏」と「質素」も同様で、汚れた肌と薄汚い服装をしていて、他人に不快感を警戒心を抱かせるのが「貧乏」で、つぎはぎあたっていても、洗濯がきいて、いつでもこざっぱりしているは「質素」です。
「信仰」と「宗教」はどうでしょう?一人ひそかに、自分の部屋の中で祈るのが「信仰」とすれば「宗教」とは、人々が集まり、指導者がいて、その指導者の意のままに従い、行動するものだと言えましょう。 つづく