オペラ 「シモン・ボッカネグラ」 ・ヴェルディ 29日2F・9-7・4,000円・安い
30日1F4列目・9-23・1万円・安い
「16回三菱UFJ信託音楽賞」 受賞記念公演
日時: 2009/8/29(土)pm4:00-7:00(25分休憩)
8/30(日)pm4:00-7:00(25分休憩)
場所: 大田区民ホール「アプリコ」(蒲田)
29日 音楽が重厚ですね、1幕の合唱とボッカネグラとパオロの対峙が素晴らしい
聴いていて、オテロに似た雰囲気がある様に感じましたが・・ヴェルディ節炸裂ですね・・・何層にも積み重なる、旋律が、敬虔な響きが、ゾクゾクしました
歌手陣も存在感があり、特に、市原多朗、甲斐栄次郎・・に感じ入りました
30日 終幕で泣けるとは、泣かされるとは想わなかった・・高ぶる感情はなに・・
今日は大隅さんの追っかけ・1幕のアリアから、綺麗な声が、実に美しいです
2幕でシモンとアメーリアの対話・・実は我が子である、真実が・・この対話、二重唱も素晴らしいです・・感情表現,歌唱と惹きこまれます
29日・佐々木典子・・声質が重たい感じで・・シモンとの対話が・・
ガブリエーレ・持木弘・・切れ味鋭く、押し出し強い声域が、一貫して、強靭さで押し通していた・・低音が薄い感じかな?・・
バスに役割、活躍の場を歌わせるオペラですね・・
フィエスコ ・佐藤泰弘29日・・ノッケから凄いブラーヴォを受けてましたが
・山口俊彦
シモンが・・平和 愛 平和 愛
階級闘争・・平民派 貴族派との対立 人と人と の、妬み、嫉妬・・
超越した 平和 愛 を・・・最近聴いた、戦争レクイエム(1961年)然り・・シモン(1856年・1881年に改訂)・・音楽から、宗教観、平和 愛を・・2009年民主政権樹立 友愛・博愛・・人間 の 平和 愛 大自然の・・
30日 シモン・ボッカネグラ・上江法明、アメーリア・大隅智佳子
29日 ガブリエーレ・市原多朗、アメーリア・佐々木典子
シモン・ボッカネグラ・大島幾雄、パオロ・甲斐栄次郎
過去に、シモン・ボッカネグラ、ピエロ・カプッチルリで聴いてますが、バリトンの渋み、深み、歌唱力が素晴らしかった記憶が・・何十年前で、あとは全て忘れてますが・・笑い
3幕/原語上演/日本語字幕
☆キャスト 29(土) 30(日)
シモン・ボッカネグラ 大島幾雄 上江法明
アメーリア 佐々木典子 大隅智佳子
フィエスコ 佐藤泰弘 山口俊彦
ガブリエーレ 市原多朗 持木弘
パオロ 甲斐栄次郎 増原英也
ピエトロ 金沢平 岡元敦司
隊長 新海康仁 新海康仁
侍女 管野瑞恵 管野瑞恵
合唱:大田区民オペラ合唱団 演出:今井伸昭
指揮:森口真司 管弦楽:プロムジカリナシェンテ
大田区民オペラ協議会/Tel.Fax 03-5482-7657
E-mail ootakuminopera@mbr.nifty.com
フェニーチェ劇場での初演まで
初演が行われたフェニーチェ劇場ヴェルディは、『椿姫』(ラ・トラヴィアータ)の後、パリ万国博覧会での上演に向け、フランス語によるオペラ『シチリア島の夕べの祈り』(1855年)を作曲する。その後、フェニーチェ劇場の支配人に約束していた新しいオペラとしてとりかかったのが『シモン・ボッカネグラ』である。
『イル・トロヴァトーレ』の原作者でもあるグティエレスの『シモン・ボッカネグラ』を読んだヴェルディは、これを新作オペラとすべく、台本作家のピアーヴェに送った。フェニーチェ劇場との契約は1856年5月であり、同年6月末から滞在先のパリで作曲にとりかかった。
台本の完成は翌1857年2月である。同月中旬にはヴェルディは第1幕を完成させ、第2幕と第3幕もオーケストレーションを残すのみとなっていた。フェニーチェ劇場のあるヴェネツィアに到着したヴェルディは、現地で最後の仕上げにかかり、3月12日の初演に臨んだ。しかし、この初演は大失敗に終わる。ヴェルディ43歳のときである。ヴェルディは友人への手紙に次のように書いている。 「素晴らしい出来だと信じていたのですが、『トラヴィアータ』以上の失敗でした。しかし、この失敗は私のせいというより、歌手に原因があるかもしれません。」[2]
改訂とスカラ座初演
ボーイト(左)とヴェルディこの作品に愛着を持っていたヴェルディは改訂上演の機会を狙っていたが、すぐには果たせなかった。
1871年の『アイーダ』初演後、新作オペラのないヴェルディに、楽譜出版社であるリコルディ社は1879年、ウィリアム・シェイクスピア原作の『オセロ』に基づくオペラ化を提案した。台本については、作曲家・詩人のアッリーゴ・ボーイトが同社から依頼を受けており、『オセロ』のオペラ化は、もともとボーイトの構想でもあった。しかし、ヴェルディとボーイトは以前から反目しあっていたこともあって、ヴェルディは慎重な姿勢を崩さなかった。このため、リコルディ社は『オセロ』の前にひとまず本作の改訂を持ちかけつつ、ヴェルディとボーイトの関係をとりなしたのである。
改訂版初演が行われたスカラ座ボーイトは、悪役パオロの登場場面を増やすことによって、主人公シモンの悲劇性を引き立たせた[3]。台本の改訂により、登場人物の人間性がより鮮明になり、わかりにくかったドラマ展開が整理された。
音楽的には、プロローグのほぼ全部が改訂され、当初の長い前奏曲はごく短い導入部に置き換えられた。第1幕の導入部とフィナーレ(会議の場面)も改訂され、個々のアリアや二重唱にも手が入れられた。ヴェルディは、従来の様式的なカヴァティーナ=カヴァレッタ方式から、アリアをドラマの流れの一環としてとらえるように改めている。第3幕のフィナーレでは「婚礼の合唱」が追加された。
改訂版は1881年3月、ミラノ・スカラ座で初演され、今度は大喝采で迎えられた。フェニーチェ劇場の初演から24年後、ヴェルディは68歳となっていた。本作の改訂作業を通じて築かれた信頼関係のもと、ヴェルディとボーイトの共同作業によって、以降、『オテロ』(1887年)、『ファルスタッフ』(1893年)と、ヴェルディ晩年の傑作が生み出されることになる[4]。
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ピエロ・カプッチルリ(Piero Cappuccilli, 1929年11月9日 - 2005年7月12日)はイタリアのバリトン歌手。ヴェルディのオペラ、中でも『マクベス』や『シモン・ボッカネグラ』の歌唱で名高い。その卓越したブレス・コントロールと滑らかなレガート唱法から、20世紀後半最高のイタリア・バリトン歌手の一人とされる。
トリエステに生まれ、はじめは建築家を志すも、親戚の勧めもありオペラ歌手となる。ルチアーノ・ドナッジオに学び、地元トリエステのジュゼッペ・ヴェルディ劇場でいくつかの端役をこなした後、1957年にミラノのヌオーヴォ劇場で、レオンカヴァルロ作曲『道化師』のトニオ役で本格デビューを果たす。EMIレコードの名プロデューサー・ウォルター・レッグに見出され、ジュリーニ指揮のオペラ全曲盤レコード録音に参加、マリア・カラスとの共演となったドニゼッティ作曲『ランメルモールのルチア』のエンリーコ役で高い評価を得て国際的活躍が始まる。
1964年からはイタリア・オペラの総本山、ミラノ・スカラ座にも出演(初舞台は上記エンリーコ役)。衰えをみせ始めていたゴッビ、若くして病に倒れたバスティアニーニの後継バリトン、そして代表的な「ヴェルディ・バリトン」としての地位を確立する。
特にスカラ座の1971年-72年のシーズン、クラウディオ・アバド指揮、ジョルジョ・ストレーレル演出の下で行われたヴェルディ作曲『シモン・ボッカネグラ』では主役として出演、大隅さん ブログ
筋書き
動画
オペラに恋するプロ写真家です
加藤氏 シモン批評
href="http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000194_2_opera.html#cast">新国立 2010年5月に大隅さんが 予定に
30日1F4列目・9-23・1万円・安い
「16回三菱UFJ信託音楽賞」 受賞記念公演
日時: 2009/8/29(土)pm4:00-7:00(25分休憩)
8/30(日)pm4:00-7:00(25分休憩)
場所: 大田区民ホール「アプリコ」(蒲田)
29日 音楽が重厚ですね、1幕の合唱とボッカネグラとパオロの対峙が素晴らしい
聴いていて、オテロに似た雰囲気がある様に感じましたが・・ヴェルディ節炸裂ですね・・・何層にも積み重なる、旋律が、敬虔な響きが、ゾクゾクしました
歌手陣も存在感があり、特に、市原多朗、甲斐栄次郎・・に感じ入りました
30日 終幕で泣けるとは、泣かされるとは想わなかった・・高ぶる感情はなに・・
今日は大隅さんの追っかけ・1幕のアリアから、綺麗な声が、実に美しいです
2幕でシモンとアメーリアの対話・・実は我が子である、真実が・・この対話、二重唱も素晴らしいです・・感情表現,歌唱と惹きこまれます
29日・佐々木典子・・声質が重たい感じで・・シモンとの対話が・・
ガブリエーレ・持木弘・・切れ味鋭く、押し出し強い声域が、一貫して、強靭さで押し通していた・・低音が薄い感じかな?・・
バスに役割、活躍の場を歌わせるオペラですね・・
フィエスコ ・佐藤泰弘29日・・ノッケから凄いブラーヴォを受けてましたが
・山口俊彦
シモンが・・平和 愛 平和 愛
階級闘争・・平民派 貴族派との対立 人と人と の、妬み、嫉妬・・
超越した 平和 愛 を・・・最近聴いた、戦争レクイエム(1961年)然り・・シモン(1856年・1881年に改訂)・・音楽から、宗教観、平和 愛を・・2009年民主政権樹立 友愛・博愛・・人間 の 平和 愛 大自然の・・
30日 シモン・ボッカネグラ・上江法明、アメーリア・大隅智佳子
29日 ガブリエーレ・市原多朗、アメーリア・佐々木典子
シモン・ボッカネグラ・大島幾雄、パオロ・甲斐栄次郎
過去に、シモン・ボッカネグラ、ピエロ・カプッチルリで聴いてますが、バリトンの渋み、深み、歌唱力が素晴らしかった記憶が・・何十年前で、あとは全て忘れてますが・・笑い
3幕/原語上演/日本語字幕
☆キャスト 29(土) 30(日)
シモン・ボッカネグラ 大島幾雄 上江法明
アメーリア 佐々木典子 大隅智佳子
フィエスコ 佐藤泰弘 山口俊彦
ガブリエーレ 市原多朗 持木弘
パオロ 甲斐栄次郎 増原英也
ピエトロ 金沢平 岡元敦司
隊長 新海康仁 新海康仁
侍女 管野瑞恵 管野瑞恵
合唱:大田区民オペラ合唱団 演出:今井伸昭
指揮:森口真司 管弦楽:プロムジカリナシェンテ
大田区民オペラ協議会/Tel.Fax 03-5482-7657
E-mail ootakuminopera@mbr.nifty.com
フェニーチェ劇場での初演まで
初演が行われたフェニーチェ劇場ヴェルディは、『椿姫』(ラ・トラヴィアータ)の後、パリ万国博覧会での上演に向け、フランス語によるオペラ『シチリア島の夕べの祈り』(1855年)を作曲する。その後、フェニーチェ劇場の支配人に約束していた新しいオペラとしてとりかかったのが『シモン・ボッカネグラ』である。
『イル・トロヴァトーレ』の原作者でもあるグティエレスの『シモン・ボッカネグラ』を読んだヴェルディは、これを新作オペラとすべく、台本作家のピアーヴェに送った。フェニーチェ劇場との契約は1856年5月であり、同年6月末から滞在先のパリで作曲にとりかかった。
台本の完成は翌1857年2月である。同月中旬にはヴェルディは第1幕を完成させ、第2幕と第3幕もオーケストレーションを残すのみとなっていた。フェニーチェ劇場のあるヴェネツィアに到着したヴェルディは、現地で最後の仕上げにかかり、3月12日の初演に臨んだ。しかし、この初演は大失敗に終わる。ヴェルディ43歳のときである。ヴェルディは友人への手紙に次のように書いている。 「素晴らしい出来だと信じていたのですが、『トラヴィアータ』以上の失敗でした。しかし、この失敗は私のせいというより、歌手に原因があるかもしれません。」[2]
改訂とスカラ座初演
ボーイト(左)とヴェルディこの作品に愛着を持っていたヴェルディは改訂上演の機会を狙っていたが、すぐには果たせなかった。
1871年の『アイーダ』初演後、新作オペラのないヴェルディに、楽譜出版社であるリコルディ社は1879年、ウィリアム・シェイクスピア原作の『オセロ』に基づくオペラ化を提案した。台本については、作曲家・詩人のアッリーゴ・ボーイトが同社から依頼を受けており、『オセロ』のオペラ化は、もともとボーイトの構想でもあった。しかし、ヴェルディとボーイトは以前から反目しあっていたこともあって、ヴェルディは慎重な姿勢を崩さなかった。このため、リコルディ社は『オセロ』の前にひとまず本作の改訂を持ちかけつつ、ヴェルディとボーイトの関係をとりなしたのである。
改訂版初演が行われたスカラ座ボーイトは、悪役パオロの登場場面を増やすことによって、主人公シモンの悲劇性を引き立たせた[3]。台本の改訂により、登場人物の人間性がより鮮明になり、わかりにくかったドラマ展開が整理された。
音楽的には、プロローグのほぼ全部が改訂され、当初の長い前奏曲はごく短い導入部に置き換えられた。第1幕の導入部とフィナーレ(会議の場面)も改訂され、個々のアリアや二重唱にも手が入れられた。ヴェルディは、従来の様式的なカヴァティーナ=カヴァレッタ方式から、アリアをドラマの流れの一環としてとらえるように改めている。第3幕のフィナーレでは「婚礼の合唱」が追加された。
改訂版は1881年3月、ミラノ・スカラ座で初演され、今度は大喝采で迎えられた。フェニーチェ劇場の初演から24年後、ヴェルディは68歳となっていた。本作の改訂作業を通じて築かれた信頼関係のもと、ヴェルディとボーイトの共同作業によって、以降、『オテロ』(1887年)、『ファルスタッフ』(1893年)と、ヴェルディ晩年の傑作が生み出されることになる[4]。
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ピエロ・カプッチルリ(Piero Cappuccilli, 1929年11月9日 - 2005年7月12日)はイタリアのバリトン歌手。ヴェルディのオペラ、中でも『マクベス』や『シモン・ボッカネグラ』の歌唱で名高い。その卓越したブレス・コントロールと滑らかなレガート唱法から、20世紀後半最高のイタリア・バリトン歌手の一人とされる。
トリエステに生まれ、はじめは建築家を志すも、親戚の勧めもありオペラ歌手となる。ルチアーノ・ドナッジオに学び、地元トリエステのジュゼッペ・ヴェルディ劇場でいくつかの端役をこなした後、1957年にミラノのヌオーヴォ劇場で、レオンカヴァルロ作曲『道化師』のトニオ役で本格デビューを果たす。EMIレコードの名プロデューサー・ウォルター・レッグに見出され、ジュリーニ指揮のオペラ全曲盤レコード録音に参加、マリア・カラスとの共演となったドニゼッティ作曲『ランメルモールのルチア』のエンリーコ役で高い評価を得て国際的活躍が始まる。
1964年からはイタリア・オペラの総本山、ミラノ・スカラ座にも出演(初舞台は上記エンリーコ役)。衰えをみせ始めていたゴッビ、若くして病に倒れたバスティアニーニの後継バリトン、そして代表的な「ヴェルディ・バリトン」としての地位を確立する。
特にスカラ座の1971年-72年のシーズン、クラウディオ・アバド指揮、ジョルジョ・ストレーレル演出の下で行われたヴェルディ作曲『シモン・ボッカネグラ』では主役として出演、大隅さん ブログ
筋書き
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オペラに恋するプロ写真家です
加藤氏 シモン批評
href="http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000194_2_opera.html#cast">新国立 2010年5月に大隅さんが 予定に